【深海の骨を食べるゾンビワームの生態とは?】|クジラの亡骸に咲く、奇妙な花のワルツ

骨まで愛して
ラボの空気は重く、静かだった。深い海の底から引き上げたデータの解析処理には、いつも途方もない時間がかかる。
手持ち無沙汰になった潮目は、メインモニターの片隅で、古めかしいゾンビ映画を再生していた。『バタリアン』。
くだらないB級ホラーだと思いつつ、そのチープで勢いのある展開に、彼は意外にも夢中になっていた。
「走るゾンビのさきがけみたいな映画でしたっけ、これ。個性的でいいですよね」
独りごちたその時、画面の中では、倉庫の地下に降りた女性(ティナ)。彼女が振り返ると、倉庫の片隅からじっとりと黒光りするタールまみれの体のゾンビが迫る!
「潮目さん! 大変です! ゾンビワームのサンプル、入手しましたよ!」
バタン!と音を立ててラボの扉が開き、助手のナギが息を切らして駆け込んできた。その手には、厳重に密封されたサンプルの入った保冷ボックスが握られている。
まさにその瞬間。
「脳味噌くれ!」
モニターいっぱいにタールマンの醜悪な顔がアップになり、割れた音声で叫んだ。
「いやああああああああああああ!」
ナギの絶叫がラボに響き渡る。
ナギはビクンと一度大きく痙攣し、そのまま椅子の上でカクンと首を垂れた。数秒の沈黙。やがて、その瞳がカッと光り、システムが再起動する。
「……ナ、ナギ君……無事、再起動できましたね?」
「なんてもの見せるんですか!」
「わざとじゃないんだ、良いタイミング、いや悪いタイミングだっただけで」
ちなみに画面では、女性(ティナ)を助けに来たパンクファッションの男(スーサイド)が、タールマンに脳味噌を食われている真っ最中だった。
「バタリアン? タールマン……」
「うん、意外に面白くて」
しばらく肩を並べて映画を見ていたが、ナギは本来の要件に気付いて咳払いする。
「それよりも、こちらをご覧ください。『ゾンビ』と言われた生き物です」
深海からの使者
ナギは潮目の前に、サンプル保冷ボックスと、タブレットを差し出した。タブレットには深海の生物に関する論文のアブストラクトが表示されている。
「ゾンビワーム……通称ホネクイハナムシ。学名はOsedax。まさしく、僕らがいま追っている深海の鯨骨生物群集の主役じゃないですか!」
潮目の目は、完全にゾンビ映画から科学者のそれへと切り替わっていた。
「ええ。その生態の基礎情報がこちらです」
Decomposing whale carcasses on the deep-sea floor are home to unique and dense biological communities. These communities derive energy from initially large concentrations of fresh organic matter that result in substantial amounts of sulfide.
(日本語参考訳:深海の海底で分解されるクジラの死骸は、ユニークで密集した生物群集の住処となる。これらの群集は、当初は高濃度で存在する新鮮な有機物からエネルギーを得ており、その結果、大量の硫化物を生成する)
出典: A New Species of Osedax (Annelida: Siboglinidae) Associated with Whale Carcasses off Kyushu, Japan (BioOne)
「これですよ、これ! クジラが死んで深海に沈むことで生まれる、全く新しい生態系『ホエールフォール』! その骨に群がるのが、このゾンビワーム!」
「はい。まさに死肉を喰らうゾンビ、というわけですね。見た目もかなりグロテスクですし」
ナギが追加で表示した画像には、骨にびっしりと根を張る、ピンク色の奇妙な生物が映し出されていた。
骨に咲く花の奇妙なワルツ
「しかし、何度見ても不思議ですよね。彼らには口も消化器官もない。どうやって骨を食べているんでしょう?」
「根のような部分に共生している細菌が、酸を出して骨を溶かし、そこから栄養を吸収している、というのが現在の定説です」
「天才的すぎる! まるで植物みたいだ。いや、植物ですらない独自の進化! しかも、僕らが観測してる個体は全部メスなんですよね?」
潮目の興奮は最高潮に達していた。
「ええ。オスは非常に小さく、幼形成熟してメスの体内で暮らしています。いわば、メス一体の中にオスのハーレムが形成されている状態です」
「ハーレム! なんてこった! ゾンビでハーレムとか、もう属性がてんこ盛りじゃないですか!」
「潮目さん、落ち着いてください。そのゾンビが進化して陸に上がってくることはありませんから」
ナギが冷静に釘を刺す。
なんだかんだでタールマンの首がバットでぶっ飛ばされたシーンが映っているのだが、残念なことに二人とも気付いていなかった。
「分かってますよ! でも、この酸を出す細菌を応用できたらどうです? ラボの頑固な汚れとか、廃棄物の処理とかに応用できるかもしれない! 『ラボトロニカ製・ゾンビワーム印の骨クリーナー』! これは売れますよ!」
「そのネーミングではたぶん売れません。あと、稟議も通りません」
「キャッチコピーは、死体遺棄にもオススメ、なんっちゃって」
「警察のお世話になりたいのですか?」
現実的なツッコミに、潮目は少しだけ肩を落とした。
ちなみに画面では、警察の検問が、ゾンビの一斉襲撃でやられている場面が映っている。
地球は救われた、のか?
二人の議論が白熱したせいか、すっかり映画のことは忘れ去られていた。
ふと、潮目がモニターに視線を戻すと、そこには『バタリアン』のクライマックスシーンが映し出されていた。
街に溢れたゾンビを殲滅するため、軍が戦術核砲弾を撃ち込むシーンだ。
閃光。きのこ雲。ゾンビたちは一瞬で焼き尽くされ、灰になっていく。
「…終わったんですね」
「ええ。いろいろツッコミどころはありますが、そういうの考えちゃいけないんですよね。とにかく多くの犠牲を払ってでも、被害を食い止めたんです」
やや不穏なBGM、だが、ようやく結末をむかえた映画。
潮目とナギは、なぜか神妙な面持ちでモニターを見つめ、人類の勝利に打ち震えていた。
その時だった。二人の背後から、冷たくも美しい声が響いた。
「いえ、たぶんだけど、救われてないわ」
「ボス!」
「所長!」
いつの間にか、そこには白波所長が立っていた。彼女の指がしなやかにリモコンを操作すると、モニターの映像が少し先に進む。
核爆発で舞い上がった放射性の灰が、雨となって墓地に降り注ぐ。すると、墓の土が盛り上がり、そこから新たなゾンビが湧き出してくるではないか。
なんとなく本編の使いまわし映像のような気がするが、それを突っ込むのは野暮というものだろうけど。
『トライオキシン245による雨が、新たなゾンビを……!』
絶望的な事実。潮目とナギは、呆然と画面を見つめるしかなかった。
「一つの問題を安易な力で解決しようとすると、往々にして、もっと厄介な問題を引き起こすものよ。ホエールフォールだってそう。クジラの死骸という『終わり』が、ゾンビワームという『始まり』を生み出す。生態系というのは、そう簡単には終わらないの」
潮目が感銘を受けたのも束の間、所長は冷ややかな眼光を彼に向けた。
「それと潮目。さっき『死体遺棄にもおすすめの骨クリーナー』とか言っていたわね?」
「聞かれてた!?」
「いいえ、カルシウム除去剤のアイデア基盤としては悪くないわ。検討を進めなさい」
「は、はい!」
所長は満足そうにドアへ向かった。そしてドアノブに手をかけたまま、ふと振り返る。
……ちなみに、潮目」
「は、はい!?」
「『バタリアン』だけど。原題はThe Return of the Living Dead。もともとはナイト・オブ・ザ・リビングデッドという映画があってね。ゾンビが蔓延る世界で空き家に逃げ込んだ主人公たちが、籠城するか脱出するかの葛藤をしながらゾンビたちとの攻防戦をするという映画よ。白黒映画と、のちのリメイクの映画があって、大筋はだいたい同じなのだけれど、主人公の女性の正確が真逆なのよね。私はリメイクのほうが好きだけれど、白黒映画のも捨てがたいわ。そんなナイト・オブ・ザ・リビングデッドの続編、というか踏み台にして『バタリアン』が作られたの。『バタリアン』も、葬儀社の建物に籠城しつつ脱出手段を模索するじゃない? そうよ、だからバタリアンはナイト・オブ・ザ・リビングデッドが転生した映画だと私は思ってるわ」
美貌の横顔から発せられる、熱い説明。ものすごいギャップに潮目もナギも呆然とする。
二人の表情に気づいた所長は、軽く咳払いをした。
「その『バタリアン』のDVD、あとで私の部屋に持って来なさい。……最初から見直すわ」
そう言い残し、優雅にヒールを鳴らして去っていく所長。
嵐の去ったラボで、潮目とナギは顔を見合わせた。
「……ナギ君」
「はい、潮目さん」
「ひょっとして所長……すんごいゾンビ映画マニアなんじゃ……」
「……その可能性は極めて大です。ただ、きっと余計な口を滑らせたら、ゾンビワームのメスの体内に押し込められますよ」
残されたモニターには、絶望のスタッフロールが映し出されていた。
