【ニューネッシーの正体とウバザメ最新研究データ】|ロマンを科学で殴られた原体験、そして希望の海へ

ニューネッシーの思い出
『1977年、日本の漁船が巨大生物の死骸を引き上げた』
『その姿はまるでネッシー』
『しかし科学者が疑った正体は……』
『ウバザメの腐乱した死骸であった』
ラボの片隅で、潮目は古いスクラップブックをめくっていた。色褪せた紙面に印刷された、不鮮明な巨大生物の写真。
「ナギ君、これ覚えてるかな。ニューネッシー」
潮目が指さす先を、ナギは無感情な瞳で一瞥する。
「ああ、1977年の瑞洋丸事件ですね。巨大な首長竜の死骸かと世界中が騒いだ一件。懐かしいものを引っ張り出してきましたね」
「だよな!子供の頃、この写真にめちゃくちゃワクワクしたんだよ。恐竜が、プレシオサウルスがまだ海のどこかに生きてるんだって本気で信じたんだ。でも……」
潮目の声が少しだけ小さくなる。
「正体はウバザメの腐乱死体だった、という結論ですね。軟骨が先に腐敗して、ああいう首長竜のような形に見えたという」
「そうなんだよ……。ウバザメかぁ、って。子供心にすごくガッカリしたのを今でも覚えてる。巨大でミステリアスなのは間違いないんだけど、夢が一つ、現実の重力に引きずり降ろされたような気分でさ」
「ロマンを科学で殴られた原体験ですか。潮目さんらしいですね」
ナギは淡々と告げる。
「ですが、そのガッカリの対象だったウバザメが、今ちょっと面白いことになっているデータがありますよ」
アイルランドの海で起きていること
「え、あのウバザメが?どんなデータ?」
潮目が身を乗り出す。ナギは手元のタブレットを操作し、一枚の論文データを表示した。
「まずはこちらの一次情報を」
We found that the number of sightings reported and the associated group aggregation size increased in recent years, in contrast to sightings declines reported in other locations globally within the same time.
(我々は、報告された目撃数および関連する群れのサイズが近年増加していることを発見したが、これは同時期に世界中の他の場所で報告された目撃数の減少とは対照的である。)
出典: Four decades of basking shark sightings in Ireland: seasonal and spatial trends reveal consistent coastal hotspots : Endangered Species Research (配信元: Inter-Research Science Publisher)
「うわ、本当だ!世界的には減ってるのに、アイルランド近海では目撃数も群れのサイズも増えてるって!?これは凄い発見じゃないか!」
興奮気味の潮目を制するように、ナギは次のデータを表示する。
「落ち着いてください。現地の研究グループによる、この結果を裏付けるコメントもあります」
""The results of our work suggest that, unlike in many other parts of the world, basking sharks continue to be present in Irish waters,"" said lead author Dr. Alexandra McInturf, co-coordinator of the Irish Basking Shark Group. ""This bodes well for the status of their population in this area and also suggests that Ireland offers important habitat for this globally endangered species.""
(「我々の研究結果は、世界の他の多くの地域とは異なり、ウバザメがアイルランドの海域に存在し続けていることを示唆しています」と、アイルランド・ウバザメグループの共同コーディネーターである筆頭著者のアレクサンドラ・マッキンターフ博士は述べた。「これは、この地域における彼らの個体群の状態にとって良い兆候であり、またアイルランドがこの世界的に絶滅の危機に瀕している種にとって重要な生息地を提供していることを示唆しています」)
出典: Half a century of sightings reveals Ireland is a haven for the basking shark : Phys.org (配信元: Phys.org)
データと風景のあいだ
「『アイルランドは重要な生息地』か……。いやはや、素晴らしいデータです!」
潮目は感嘆の声を上げた。
「他の場所では数を減らしている絶滅危惧種が、特定の場所で数を増やしている。これは希望の観測記録だよ、ナギ君!」
「ええ。データは客観的な事実を示します」
「でも、なんでアイルランドだけなんだろう?もしかして、あの海域には何か特別なエネルギーでもあるのかな。太古の昔から続くレイラインとか、海底に眠る超古代文明の遺跡が、プランクトンを活性化させてるとか!」
「残念ながら、論文では海洋保護政策の成功や、餌となる動物プランクトンが豊富な湧昇流が要因として挙げられています。オカルトではありませんよ、潮目さん」
ナギの冷静なツッコミに、潮目は「だよなあ」と苦笑いする。
「でも、すごく面白いじゃないか。環境さえ整えば、巨大な生き物もちゃんと個体数を回復できるっていう証明だもんね。データが希望を見せてくれるなんて、最高だよ」
「……そうですね。ところで潮目さん、もしこのウバザメの行動パターンを追跡するアルゴリズムを、うちの深海ドローンに組み込めたらどうなると思いますか?」
「え?」
「プランクトンの豊富な海域を自律的に探し当て、他の希少生物の新たな生息地を発見する『ウバザメ・ドローン』です。バイオミメティクスとしては有効なアプローチかもしれません」
「それだ!ナギ君、天才!うちのラボトロニカの技術なら……!」
「実現には、現在のラボの年間予算の3倍は必要になりますが」
ナギが静かに付け加えると、潮目はピタリと動きを止めた。
未知なるものへの探求
「……現実が見えましたか」
「見えたよ……。でもさ、やっぱり思うんだ」
潮目は再び、色褪せたニューネッシーの写真に目を落とした。
「ウバザメが『ニューネッシー』になったみたいに、世界のどこかには、まだ誰も知らない生き物がいるかもしれないって」
「未確認生物、ですか」
「そう!アフリカのコンゴにはモケーレ・ムベンベがいるって言われてるし、ヒマラヤにはイエティが……」
「またオカルトに話が飛んでますよ」
ナギが呆れたように言うが、潮目は止まらない。
「ロマンだよ、ナギ君!いつかさ、本当に恐竜の生き残りを探しに、フィールドワークに行きたいよね。ラボの機材、全部持ってさ」
潮目は窓の外、遠い空を見つめていた。その目は、子供の頃にニューネッシーの写真を見た時とまったく同じように、キラキラと輝いている。
ナギは小さく、誰にも聞こえないほどの溜息をつくと、静かに新しい観測装備のオンラインカタログを開いた。
「……防寒性能と耐水圧は、最高レベルのものが必要ですね」
「えっ、ナギ君!?」
振り向いた潮目の驚いた顔を、ナギはいつもの無表情で見つめ返していた。
その時、二人の背後でカツン、とヒールの音が響いた。
「防寒と耐水圧だけじゃ甘いわよ」
冷やかで美しい声に、二人の背筋が跳ね起きる。そこに立っていたのは、いつの間にか現れた白波所長だった。
「所長、 いつからそこに!?」
白波所長は潮目を無視し、ナギのタブレットに表示されたアイルランドの海洋データを指先でなぞった。その瞳が、心なしか怪しく光っている。
「アイルランド近海、湧昇流による豊富なプランクトン、そして集まるウバザメ……。いい潮が差しているわね」
「は、はい?」
「ナギ、備品申請のリストに『海外遠征用GTロッド』と『対巨大魚用電動リール』、それからPE12号のラインを1,000メートル追加しておきなさい」
「……ボス。それは観測機材ですか? それとも、仕掛け(タックル)ですか?」
ナギの鋭いツッコミに、白波所長は一瞬だけピクッと眉を動かしたが、すぐに完璧な無表情(SSR)に戻した。
「……観測に必要な『現地サンプル保持用ギア』よ。文句あるかしら? それともPEが細すぎるという指摘?」
「ありません。すぐ手配します」
「ちょっと待ってナギ君! アイルランドの海で何を釣る気なの所長!? 相手は体長10メートルのウバザメだよ!?」
叫ぶ潮目を置き去りにして、白波所長は優雅にヒールを鳴らして去っていく。その背中は、どこか遠征前夜の少年のように弾んで見えた。
