UNKN_LEVEL: ★★★:完全な未知

【メスがペニスを持つ虫とは?】|トリカヘチャタテの70時間続く交尾と逆転世界のワルツ

【メスがペニスを持つ虫とは?】|トリカヘチャタテの70時間続く交尾と逆転世界のワルツ
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フィクションは現実に劣る

ラボのエアフィルターが静かに駆動する音だけが響く午後。潮目は、自分の操縦ミスで観測ドローンを墜落させてしまい、予定が大幅に遅れていた。修理と同時に、機体にこびりついた謎の油脂を落とすため、屋外の洗浄スペースで奮闘していた。

ラボの中では、助手のナギが珍しくソファで休憩を取っていた。手元のタブレットに表示されているのは、男女の社会的な役割や貞操観念が完全に逆転した世界のライトノベルだ。

「……『わたくしの剣となりなさい、少年!』か。くだらない」

口ではそう言いながらも、ナギの指は滑らかに次のページをめくっている。不覚にも、その荒唐無稽な物語に熱中してしまっていた。

その時、背後からカツン、と硬質なヒールの音がした。

「面白いものを読んでいるわね、ナギ」

「ボスっ!?」

ナギが驚いて振り返ると、そこにはいつの間にか、ラボの最高責任者である白波所長が立っていた。ナギは慌ててタブレットを隠そうとするが、もう遅い。

所長の鋭い視線が、画面のタイトルを一瞥する。

「男女の貞操逆転世界、ねぇ…。フィクションとは、存外安直なものなのね」

「っ……! こ、こんなものは物語だから面白いのであって、現実はもっと穏健であるべきです」

気まずさを隠すようにナギが反論すると、所長はくすりと艶やかに微笑んだ。

「虫の世界で良ければだけど、その『貞操逆転世界』、現実にもあるのよ」


現実がフィクションを超越する時

白波所長が自身の端末を軽く操作すると、ナギの目の前のメインモニターに一本の論文情報が投影された。

Title: Female Penis, Male Vagina, and Their Correlated Evolution in a Cave Insect
出典: Female Penis, Male Vagina, and Their Correlated Evolution in a Cave Insect : Current Biology (配信元: Cell Press)

「Female Penis…メスの、ペニス…?」

ナギが眉をひそめると、所長は満足げに頷いた。

「ええ。そのタイトルだけで、あなたの読んでいた小説より、ずっと刺激的でしょう?」

「……確かに。この昆虫について、もう少し詳しく見てみましょう」

ナギがキーボードを数回叩くと、関連する国内の発表データが即座に表示された。

体内受精を行う生物では,ほぼ例外無く雄が挿入器(ペニス)を持ちます。今回私たちは,ブラジルの洞窟に棲むチャタテムシの一属,トリカヘチャタテ(和名新称)Neotrogla 属は,雌がペニス様の交尾器を持ち,これを雄に挿入することで交尾を行うことを見出しました。
出典: 交尾器が雌雄で逆転した昆虫の発見-雌がペニスを持つ洞窟棲チャタテムシ- : 北海道大学 (配信元: 大学公式ウェブサイト)

まさにその時、ガチャリとドアが開き、油汚れと格闘し終えた潮目が戻ってきた。

「やれやれ、修理も清掃も完了……って、うわっ、所長!? お疲れ様です!」

モニターに集中する二人のただならぬ雰囲気に、潮目が恐る恐る声をかける。

「えーっと…何か、すごいデータでも?」

ナギは興奮を抑えつつ、潮目に向き直った。

「いいえ、潮目さん。人間界のフィクションを遥かに超越した、生物学的な『構造逆転』の観測データです」

REQUISITION_DATA DETECTED

調査を継続するための推奨装備が観測されました。

>> ACCESS_DETAILS

70時間続く「お食事タイム」

潮目はモニターを覗き込み、目を丸くした。

「メスがペニスを持って…オスに挿入する!? え、どういうことですか!?」

ナギが淡々と、しかし熱を込めて画面を指し示す。

「このトリカヘチャタテという虫、なんとメスがペニス(のような器官)を持ち、オスに挿入して交尾を行うんです。しかもその時間、実に70時間にも及ぶと報告されています」

「な、70時間!? 3日近くじゃないですか!」

潮目の驚愕に、白波所長が楽しそうに口元を緩めた。

「それだけじゃないわ、潮目」

その声には、残酷な響きが混じっていた。

「彼らが生息する洞窟内は、極度の過酷な飢餓環境よ。だからメスにとっての交尾は、単なる子孫繁栄ではないの。メスはオスの体内にペニスを差し込み、そこから栄養満点の『精包(栄養カプセル)』を力ずくで吸い上げるのよ。言わば……【お食事タイム】ね」

「お、お食事タイム……! オスから栄養を奪い取ってるんですか!?」

「ええ。さらに恐ろしいことに、メスのペニスにはスパイク状の返し(突起)がついていて、オスの体内を強力に固定します。オスが途中で嫌がって拒否しようと引き剥がそうとすれば……」

ナギが、まるで死刑宣告のように淡々と補足説明を加える。

「オスの腹部が千切れてしまうのよ」

潮目の顔から、サーッと血の気が引いていった。

「ひ、ひえええっ……!! 70時間拘束されて、栄養を吸い尽くされて、逃げようとしたらお腹が千切れるなんて……! 恐怖の地獄じゃないですか!」

潮目は頭を抱えて絶叫した。

「僕の昔の失恋(泥か私か問題)より遥かに過酷だ!!」


小説より奇なる結末

青ざめてわなわなと震える潮目を、白波所長はうっとりと眺めている。

「あら、震えちゃって。でも、そんな怯えた顔も悪くないわね」

所長は潮目の肩を指先で軽く撫でると、満足そうに微笑む。

「過酷? いいえ、これは極限状態の洞窟で種を存続させるための、完璧で美しい生存戦略(システム)よ」

白波所長は優雅に腕を組み、冷ややかな、しかしどこか嬉しそうな眼光を潮目に向けた。

「奪う側と奪われる側。無駄なプライドを捨て、栄養を提供するオスと、それを受け取り命を繋ぐメス。……ふふ、どこかのラボの人間関係より、よっぽど合理的で潔いと思わない?」

「し、所長……! でもオスの立場からしたら、ただ吸い尽くされるだけの存在ですよ!?」

「そう? 自分の持てる栄養が相手の役に立ち、次の世代やデータとして残るなら、本望でしょう。……そうね、潮目」

所長は一歩踏み出し、青ざめる潮目の肩にそっと手を置いた。

「プロペラの油脂剥がし程度で『大変だ』なんて愚痴をこぼしているようじゃ、トリカヘチャタテのオスに笑われるわよ。あなたも当ラボのために、その身を捧げてちょうだい」

「え?」

「遅れ気味の予定を取り戻すチャンスよ。明日から、千葉の沿岸部で70時間連続の連続環境モニタリングに行ってきなさい。大丈夫、熱中症対策の冷却服と経口補水液を用意するわ」

「な、70時間連続!? 無理ですよそんなの! パワハラです、死んじゃいます!!」

「操縦ミスでドローン墜落させたの誰だったかしらね? 予定の遅れはうちの研究所の名誉に傷がつくわ。大丈夫、今回は私も同行するわ。それなのに。拒否したら……どうなるか、分かっているわね?」

所長が美しく微笑むと、ナギが素早く潮目の横に立ち、タブレットを操作し始めた。

「装備が不足なら、過酷な観測で体が千切れないためのサポート腰痛ベルトを手配しておきましょうか」

「ナギ君までーーーーっ!? 僕をトリカヘチャタテのオス扱いしないでーーーーっ!!」

ラボに潮目の絶叫が虚しく響き渡る。

人間の身勝手な妄想(ライトノベル)など遥かに凌駕する、自然界の残酷で美しいリアル。

データと風景のあいだには、今日も過酷な観測者の悲鳴が溶け込んでいくのだった。

MISSION_EQUIPMENT: FINAL_CHECK
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