超電導ナギ、起動しますか?
珍しく不機嫌な助手
ラボには珍しく、ぴりついた空気が流れていた。
その源は、いつも冷静沈着なはずの助手、ナギだった。彼女はタブレット端末を睨みつけ、指先で神経質に画面をタップしている。
一方、潮目研究員は、新しいパーコレーターで淹れたコーヒーの香りを楽しみながら、のんきに声をかけた。
「ナギ君、すごい集中力だね。何か面白いデータでもあったのかい?」
「……潮目さん。これを見て、何も感じませんか?」
ナギはそう言って、タブレットを潮目の方へ突き出す。そこには「Superconductivity record」という文字が躍っていた。
「ああ、超電導かあ。すごい技術だよね。リニアモーターカーとか」
潮目のどこか他人事のような返事に、ナギはこめかみをピクリとさせた。彼女がこれほどまでに超電導という技術に心惹かれているのに、この上司は全くその重要性を理解していない。それがナギには少し、いや、かなり腹立たしかった。
「潮目さん。これはただの技術ニュースではありません。世界のエネルギー問題から、私たちの観測体制まで、すべてを根底から覆す可能性を秘めた『革命』の狼煙なんですよ」
彼女の熱のこもった言葉に、潮目はようやくコーヒーカップを置いた。
塗り替えられた記録と、その先の課題
「革命、だなんて大げさだなあ。またどうせ、実験室の中だけの話でしょう?」
疑念を隠さない潮目に、ナギはため息を一つついて、改めてデータを示した。
「まず、こちらの観測データBをご覧ください。これが発端です」
Scientists just smashed a superconductivity record — bringing the dream of lossless power and futuristic energy tech one big step closer.
(科学者たちが超電導の記録を塗り替えました。これにより、損失のない電力と未来的なエネルギー技術の夢が、また一歩大きく近づいたのです)
出典: Scientists break 30-year superconductivity record at normal pressure : University of Houston (ScienceDaily)
「記録を塗り替えた、か。それは素晴らしいニュースじゃないか」
「ええ。30年ぶりに常圧での記録を更新したそうです。ですが、問題はそこだけではないんです。潮目さんが言うように、実用化にはまだ途方もない壁がある。だからこそ、こちらのデータAが重要になってきます」
ナギは指先でスワイプし、別の論文のアブストラクトを表示した。
Here, we lay out two grand challenges facing the field, titled the Prediction Challenge and the Engineering Challenge, and put forward a programmatic approach for overcoming them.
(ここで我々は、この分野が直面する「予測の課題」と「工学の課題」と名付けられた2つの壮大な課題を提示し、それらを克服するためのプログラム的アプローチを提唱する。)
出典: The path to room-temperature superconductivity: A programmatic approach : Proceedings of the National Academy of Sciences (Proceedings of the National Academy of Sciences)
「『予測の課題』と『工学の課題』、ね。やっぱり、道のりは長そうだ」
潮目の言葉に、ナギは静かに頷いた。彼女のイライラは、ただの技術への興奮ではなく、その先にある巨大な壁と、それを乗り越えようとする研究者たちの情熱に向けられていたのだ。
エネルギー損失ゼロの世界
「つまり、どんな物質が超電導になるか正確に『予測』できないし、たとえ見つけても実用的な線材に『加工』するのが難しい。そういうことだよね」
「その通りです。でも、潮目さん、もしこの二つの課題がクリアされた世界を想像してみてください」
ナギの目が、少しだけ輝きを取り戻す。
「送電ロスがゼロになるんですよ。発電所で作った電力が、一滴も無駄にならずに家庭に届く。エネルギー問題は過去のものになります」
「うわ、それはすごいな!まるで魔法だ。そうなったら、僕らのラボの機材も全部バッテリーレスにできるんじゃないか?フィールドワークで電源を探し回る必要がなくなるぞ!」
潮目が途端に目を輝かせた。現金なものだとナギは思う。
「それどころか、ドローンも半永久的に飛び続けられます。山奥の定点観測なんてお手の物ですよ。ケーブルも全部超電導にすれば、データのノイズもゼロ。今までノイズに埋もれていた微弱な自然の信号を、私たちは初めて聴くことができるんです」
「微弱な自然の信号……。例えば、地中深くのマントルの声とか、宇宙から届く未知の素粒子のささやきとか?」
「あなたの発想はすぐにSFに向かいますね。まあ、可能性はゼロではありませんが。もっと現実的な話、超高感度な地磁気センサーや、医療用のMRIも、もっと小型で強力なものが作れます」
「なるほどなあ。つまり、この技術は単にエネルギー効率だけの話じゃない。人類の『知覚』そのものを拡張する鍵になるってことか!」
ようやく話の核心にたどり着いた潮目に、ナギは満足げに頷いた。
「ええ。だから私は、この技術の潮目が気になって仕方ないんです」
超電導アシスタント、ナギ
「そっか……。ナギ君がそこまで言うなら、本当にすごいことなんだな。電気抵抗ゼロの身体を持つアシスタントなんて、まさにラボトロニカにぴったりじゃないか」
「……何の話です?」
「いや、だってナギ君は超電導に夢中なんだろう?だったらもう『超電導ナギ』って名乗るのはどうかなって」
潮目は悪戯っぽく笑った。
その突拍子もない提案に、ナギは一瞬、眉をひそめる。しかし、潮目は言葉を続けた。
「なんか、小学生向けのロボットアニメみたいで、かっこいいじゃないか!『行け!超電導ナギ!ノイズの壁を突破しろ!』みたいな」
「……」
ナギは無言で潮目を見つめた。
その表情はいつも通りの無表情に見えたが、ほんの少しだけ、口元が緩んだのを潮目は見逃さなかった。
超電導ナギ。その響きは、彼女自身が思うよりも、少しだけ悪くないのかもしれない。ラボの片隅で、未来の技術を巡る小さな熱狂が、静かに続いていた。