綿菓子より軽い惑星と、それより儚い潮目研究員の恋
星の数ほど相手はいても
ラボの空気は、珍しく淀んでいた。観測機材のハミング音だけが響く静寂の中、潮目研究員はデスクに突っ伏して微動だにしない。その背中からは、観測史上最大級の低気圧が立ち上っているようだった。
ナギは淹れたてのコーヒーをそっと彼の隣に置く。
「潮目さん。またケーブル踏んで転んだんですか?」
「……違うよ、ナギ君」
くぐもった声がデスクの下から響く。顔を上げた潮目の目元は、心なしか潤んでいるように見えた。
「僕は……僕は、ふられたんだ」
「はあ」
ナギは特に興味もなさそうに相槌を打つ。潮目が恋愛事で落ち込むのは、これが初めてではない。
「星の数ほど惑星があるように、人の数もそれなりにいます。次を探せばいいじゃないですか」
「そんな簡単なものじゃないんだよ!僕にとって彼女は、唯一無二の輝きを放つ恒星だったんだ……!」
「そうですか。では、その恒星が超新星爆発でも起こしたんですね。気持ちを切り替えて、新しい星団を探しましょう」
ナギの慰めているのか突き放しているのか分からない言葉に、潮目は再びデスクに突っ伏した。
掴めないほど軽い惑星
「もういいよ!僕はデータと生きる!」
やけくそ気味に叫ぶと、潮目は乱暴にコンソールを叩き、最新の観測ログを呼び出した。失恋の痛みは、新しい発見の興奮で上書きするしかない。
「うわっ……なんだこれ!ナギ君、見て!」
画面に映し出された数値に、潮目の声色が瞬時に研究者のそれへと変わる。
「また何か見つけましたか。今度は潮目さんの失われたやる気ですか?」
「違うよ!すごいデータなんだ!ちょっとこれを見て!」
ナギが覗き込んだディスプレイには、ある系外惑星に関する論文が表示されていた。
Our detailed analysis of the TTV signal allows us to measure dynamical masses for both planets, which yield densities of and , indicating that TOI-791 b and c are two of the lowest density giant planets ever detected.
(TTV信号の詳細な分析により、両惑星の力学的な質量を測定することができ、その結果、密度はそれぞれ ととなり、TOI-791 bとcがこれまでに検出された中で最も低密度の巨大惑星の2つであることを示している。)
出典: ASTEP confirmation of a pair of long-period Jupiter-sized planets with extremely low densities transiting TOI-791 : Monthly Notices of the Royal Astronomical Society (配信元: Oxford Academic)
「信じられない密度だ……。巨大ガス惑星なのに、こんなに軽いなんて」
「ええ。この惑星については、もっと分かりやすい表現をしているニュース記事もありますよ」
ナギはそう言って、手元のタブレットに別の情報を表示させた。
An international collaboration has discovered two of the lowest-density giant planets ever detected: rare ""super-puff"" planets with densities lower than candy floss.
出典: 'Super-puff' planets lighter than candy floss discovered by international team : University of Oxford (配信元: Phys.org)
「綿菓子……?綿菓子より軽い惑星だって!?」
潮目はその言葉に、再び何かを撃ち抜かれたような顔をした。
ふわふわの心と惑星
「スーパーパフ惑星……なんてロマンチックな響きなんだ」
潮目はうっとりと呟く。
「ふわふわしていて、甘そうで……でも、掴もうとした瞬間に消えてしまいそうな儚さがある。まるで……」
「まるで、潮目さんが振られた相手のようだとでも言いたいんですか?」
「うっ……」
ナギの的確なツッコミに、潮目は言葉を詰まらせる。
「感傷に浸るのは結構ですが、この惑星が綿菓子でできているわけではありません。主成分は水素とヘリウム。巨大な大気が、惑星本体に対して異常なほど大きく膨れ上がっているだけです」
「分かってるよ!でも、もしかしたら僕らが知らないだけで、未知の生命体が作り出した巨大な巣なのかもしれないじゃないか!宇宙綿菓子生命体とか!」
「そのオカルトな発想は、予算申請書を出す時にだけにしておいてください。却下しますが」
ナギはため息をつく。
「それより、この超低密度構造を応用するほうが現実的です。もしこの構造を模倣できれば、観測史上最も軽量なドローン用エアフレームが作れるかもしれませんね」
「確かに!衝撃吸収性も凄そうだ!どんな過酷な環境に不時着しても、中の機材は無傷……究極の観測ドローンだ!」
さっきまでの落ち込みが嘘のように、二人の目はガジェット開発の妄想で輝き始めた。
恋の密度
数日後、潮目はすっかり元気を取り戻していた。スーパーパフ惑星の構造解析に没頭し、新しい観測ドローンの設計図まで描き始めている。
「いやはや、やっぱり観測は素晴らしい!失恋の傷なんて、新しいデータがすぐに癒してくれますね!」
上機嫌でコーヒーを飲む潮目に、ナギがふと口を開いた。
「そういえば潮目さん。先日、例の振られたお相手について少し調べてみたのですが」
「え? ストーカーみたいなことはやめるんだ、ナギ君!」
「人聞きが悪いですね。偶然、共通の知人から話を聞いただけです。なんでも、お子さんが二人いる主婦の方だそうで」
「……え?」
潮目の動きが止まる。
「潮目さんのことを気に入っていたのは本当みたいですが、からかい半分だったと笑っていたそうですよ。『あのピュアな反応が可愛くて』、だそうです」
ラボに、乾いた笑い声と、コーヒーを盛大に噴き出す音だけが響き渡った。
ナギはティッシュの箱を差し出しながら、静かに呟く。
「……星の数ほど、色々ありますね」