リュウグウ、生命の揺りかごか?
潜む揺らぎ、星屑の囁き
湿度を帯びた空気が、微かに火照った頬にまとわりつく。
白波所長は、いつもクールな雰囲気とは裏腹に、少しだけ気だるげに分析結果を眺めていた。
その艶めかしい横顔に、潮目は思わず目を奪われる。
「所長、以上が報告になりますが…」
と言いかけた言葉は、所長の鋭い視線に遮られた。
「潮目、そのデータの解釈は浅いわね。もっと深淵を覗くべきよ。」
所長の声には、確かな艶があった。
二日酔い気味なのだろうか、それともこの星屑に隠された秘密に、彼女自身も魅了されているのだろうか。
潮目の胸は、静かに高鳴った。
宇宙からのメッセージ、核酸塩基の全貌
小惑星リュウグウ(Ryugu)から回収された試料から、地球のDNAやRNAに見られる全種類の核酸塩基:アデニン、グアニン、シトシン、チミン、およびウラシルが検出されたことを報告する論文が、Nature Astronomy にオープンアクセスで掲載される。この発見は、太陽系初期の化学的環境に関する新たな知見を提供する。
「なんだって!リュウグウから、地球の生命に不可欠な核酸塩基が、全部見つかったんですか!?」
潮目の目は輝きを増し、早口でまくしたてる。
「これ素晴らしいデータですよ、所長!生命の起源に迫る決定的な証拠!」
ナギは静かに端末を操作しながら、冷静に補足する。
「潮目さん、感情的になるのは分かりますが、発見されたのは『全ての』核酸塩基であり、これが生命の起源を解き明かす『鍵』となる、というのはあくまで現時点での解釈です」
「だってナギ君!地球に生命が誕生した理由が、宇宙から種が蒔かれた可能性すら示唆しているんですよ!ロマンじゃないですか!」
潮目は興奮冷めやらぬ様子で腕を振り回した。
その拍子に机の上のコーヒーカップが傾きそうになる。
「またケーブル踏んでますよ、潮目さん」
ナギの冷静なツッコミに、潮目は慌ててカップを掴み直した。
禁断の仮説、星屑と心臓の共鳴
「でも、所長。この『完全な形』で見つかったっていうのが、どうしても引っかかるんです。」
潮目は、所長に視線を向けた。
「まるで、誰かが意図的に『全部』揃えて、地球に送り込んだみたいじゃないですか?」
白波所長の唇は微かに微笑んでいる。
「意図的、ね。例えば宇宙人が生命の種を蒔いた、とでも言いたいの?」
「いや、もっと…こう、自然の摂理というか。例えばリュウグウのような小惑星って、実は生命の材料を『培養』する、巨大な宇宙の『種まき器』みたいなものなんじゃないかと!」
潮目が熱弁する横で、ナギは冷静にデータの深層を掘り下げていた。
「確かに小惑星内部の環境は、核酸塩基のような有機物生成に適していた可能性はあります。ですが、それはあくまで化学進化のプロセスであり、『意図』が介在したと断定するのは飛躍しすぎかと」
「でもナギ君!もしこのリュウグウで生成された核酸塩基が、地球に降り注いだらどうなると思います?」
潮目は、さらに想像を膨らませる。
「地球の原始の海で、これらの材料が偶然にも組み合わさって生命が芽生えた。つまり僕たちの『設計図』は宇宙に用意されていた、っていうことなんですよ!」
「その『設計図』が、どのように『印刷』され、そして『実行』されたのか。そこを議論するのが、我々の使命の一つでしょう」
白波所長は潮目の言葉を反芻するように呟いた。
潮目は、所長の言葉に勇気づけられたように、さらに熱を帯びる。
「もし、この核酸塩基の生成メカニズムを理解できれば、人工的に生命の種を作り出すことも可能になるかもしれない!」
「人工生命、ですか。その可能性に、ワクワクしますね。」
ナギも、珍しく興味を示した。
白波所長は潮目の熱意を静かに見つめていた。
その瞳には、冷徹さの中に、微かな期待の色が宿っているように見えた。
星降る夜、誓いを胸に
「そうでしょう!僕たちのラボトロニカなら、きっとやれる!このリュウグウのデータがあれば、生命の『レシピ』を解明して、新しい観測機材の開発にも繋げられるはずです!」
「ところが。あなたたちのくだらないミスのせいで、機材どころか報酬すらカットよ」
白波所長の声は、静かなラボの空気を切り裂いた。
潮目は、さっきまでの興奮が嘘のように、顔面蒼白になる。
「え…?み、ミスのせいって、僕、何も…」
「潮目、あなたがコーヒーをこぼしそうになった時、メイン電源に微弱な電流が流れたの。それで最新の分析データが、一部破損したわ」
「!?」
「な、なんだってー!?」
所長は、妖艶な笑みを浮かべた。
「冗談よ」
その笑顔に、潮目の心臓は早鐘を打つ。
「そんなに顔を赤くして、可愛いわね」
所長は、潮目の襟元についた微かな埃を、指先でそっと払った。
その仕草は、まるで蝶を扱うように繊細で、そして、あまりにも魅惑的だった。