4600年揺れないピラミッドの謎と、絶対に揺れない僕らのラボ
築古と耐震と古代のロマン
ラボにコーヒーの香ばしい匂いが漂う。潮目がハンドドリップで丁寧に淹れた一杯を、自分のデスクに運んでいた。
「いやはや、ナギ君。この一杯のために生きてるって感じがするよね」
「またケーブル踏んでますよ。それに、実家の工事が終わってご機嫌ですね、潮目さん」
冷静なナギの指摘に、潮目は慌てて足元を確認する。危うく大惨事になるところだった。
「あっ、危ない危ない。そうなんだよ!うち、いわゆる築古戸建てでさ。やっぱり耐震性が心配で、この間ついに補強工事をしたんだ。これで一安心」
「それは何よりです。備えあれば憂いなし、ですから」
「ところでさ、築古なんてレベルじゃない、超がつく築古……例えばピラミッドとかって、どうなってるんだろうね?4000年以上も地震に耐えてるなんて、不思議じゃない?」
潮目の純粋な疑問に、ナギは無言でタブレットを操作し、その画面を彼に向けた。
「ちょうど、その疑問に答えるにふさわしいデータがあります」
揺るがぬ王墓の秘密
潮目はナギからタブレットを受け取ると、そこに表示された英文に目を輝かせた。
「おお!Natureの記事じゃないか!どれどれ……」
These findings present compelling quantitative evidence that ancient Egyptian architects possessed profound geotechnical understanding, optimising structure design and site characterisation to assure millennial-scale stability against seismic hazards.
(これらの発見は、古代エジプトの建築家が、地震災害に対する数千年にわたる安定性を確保するために、構造設計と敷地の特性評価を最適化する深遠な地盤工学的知識を有していたことを示す、説得力のある定量的証拠を提示するものである。)
出典: Architectural and geotechnical aspects affecting earthquake resilience for the antique Egyptian Khufu pyramid : Scientific Reports (配信元: nature.com)
「やっぱり!古代の建築家はただ石を積んでただけじゃないんだ!地盤工学まで理解して、数千年規模の安定性を確保してたってことか!これはすごい発見だよ!」
興奮して早口になる潮目をなだめるように、ナギは別の画面を指し示した。
「落ち着いてください、潮目さん。その概要をまとめた日本語の解説記事もちゃんとありますよ」
エジプトのギザのピラミッド群にあるクフ王の大ピラミッド(Great Pyramid of Khufu;クフ王のピラミッド〔Khufu Pyramid〕、またはケオプス王のピラミッド〔Pyramid of Cheops〕としても知られる)の構造的特徴により、建設から約4600年にわたり、重大な損傷を受けることなく、地震に耐えてきた可能性があることを報告する論文が、オープンアクセスジャーナルScientific Reportsに掲載される。
出典: 考古学:大ピラミッドに秘められた耐震性の謎 : Nature Asia (配信元: Nature Portfolio)
古代の知恵か、それとも…
「4600年……!僕の実家なんて比較にならないくらい、途方もない時間だ。その間、ずっと地震に耐えてきたっていうのか。いやはや、素晴らしいデータです」
潮目は感嘆の声を漏らし、天井を仰いだ。彼の脳裏には、壮大な砂漠の風景が広がっているようだった。
「これはもう……古代エジプトには僕らの知らない超科学があったとしか思えない。宇宙人が技術供与していた可能性だってあるんじゃないかな!?」
「またすぐオカルトに飛びつきますね。論文にはちゃんと『構造的特徴』と『地盤工学的知識』と書かれています。宇宙人ではなく、人間の知恵の結晶ですよ」
ナギはため息交じりに訂正する。
「例えば、基礎部分に使われた柔らかい岩盤が揺れを吸収したり、巨大な石材の隙間が意図的にダンパーの役割を果たしていた、という仮説が立てられています。泥臭い工夫の積み重ねです」
「なるほど……揺れをいなす構造か。だとしたら、そのメカニズムを解析できれば、現代の建築にも応用できるかもしれない!うちのラボの観測ドローンポートに応用すれば、地震の時でもミリ単位のズレなく離着陸できるかも!」
「それは面白い発想ですね。低コストで実現できるなら、災害地域のインフラにも転用できるかもしれません。悪くないデータです」
珍しくナギが少しだけ同調し、二人の議論は熱を帯びていった。
究極のシェルターは足元に
ひとしきり古代の技術に思いを馳せた後、潮目はふと我に返り、ラボの天井を見上げた。
「それにしても、このラボも時々ミシッと音がするし、ちょっと大きな地震が来たら観測機材とか大丈夫なのかな……」
急に不安そうな顔になる潮目に、ナギは呆れたように首を振った。
「潮目さん、何を今更言っているんですか。ここの耐震設計について、何も聞いていませんでしたか?」
「え? いや、特に……」
「このラボは、ボスの強い指示で特殊な免震構造が採用されています。地下深くまで杭が打たれ、建物全体が地面から浮いたアイソレーション構造になっているんです」
「ま、マジか!」
「震度6強クラスの揺れが来ても、この研究室の床は貧乏ゆすり程度の揺れしか観測しない設計です。私が定期的に免震装置のメンテナンスもしていますから、ご安心を」
潮目は自分の足元と、ナギの涼しい顔を交互に見比べた。
「知らなかった……!じゃあ、日本で一番安全な場所って、もしかしてここなんじゃないか!?」
「可能性は否定しません」
「よーし!だったら、もういっそここに住み込もうかな!防災シェルターとしても完璧だ!」
満面の笑みで宣言する潮目に、ナギは冷たい視線を送った。
「備品を私物化し、光熱費を経費で落とす気ですね。その発言、ボスにそのまま報告しておきます」
「えっ、ちょ、待って!冗談だって、ナギ君!」
ラボに響く潮目の慌てた声は、4600年の時を超えたピラミッドの静寂とは、あまりにも対照的だった。