三日坊主の潮目に朗報?「老化防止プロテイン」の夢と現実
ラボの片隅に響く、不規則な呼吸音
ラボの片隅で、錆びついたダンベルを片手に、潮目研究員がぜえぜえと息を切らしている。その額には汗が滲み、顔は苦悶に歪んでいた。
「ふ、ふんっ……! き、今日こそは……!」
彼の傍らでタブレットを操作していたナギが、すっと顔を上げて口を開く。
「潮目さん。その光景、先月も、先々月も見た気がします」
「うぐっ……! ナ、ナギ君! 今度こそ本気なんですよ! 健康と筋トレについて、僕らはもっと真剣に議論すべきだ!」
「潮目さんの筋トレ継続記録は、今のところ最長で48時間ですが」
「二日坊主...か。三日目まであと一歩だったのに」
がっくりと肩を落とし、ダンベルを床に転がす潮目。その時、彼の目にモニターに表示された一つの論文タイトルが飛び込んできた。
科学の力で若返る?
「な、ナギ君! これを見てください!」
潮目は床のダンベルのことなど忘れ、興奮した様子でモニターを指差した。そこには、英語で書かれた最新の研究論文のタイトルが表示されている。
「トリステトラプロリン……? なんだか必殺技みたいな名前ですね! これ、もしかして飲むだけでムキムキになれる夢の薬じゃないですか!?」
Increased Stability of Tristetraprolin mRNA Supports Bone Health and Decreases Frailty During Aging
(トリステトラプロリンmRNAの安定性向上は、加齢中の骨の健康をサポートし、虚弱を減少させる)
出典: Increased Stability of Tristetraprolin mRNA Supports Bone Health and Decreases Frailty During Aging : Aging and Disease
「必殺技……。潮目さんの発想はいつもSF的ですね」
ナギはため息一つで潮目の熱を冷ます。
「その論文なら、DOIから全文を解析済みです。残念ながら、飲むだけで超人になれる薬ではありませんよ」
そう言って、ナギは自分のタブレットの画面を潮目に見せた。そこには、論文の要点をまとめた別の記事が表示されていた。
The increase in TTP resulted in better grip strength, better walking, endurance and overall physical performance. These mice had healthier bones and reduced bone breakdown.
(TTPの増加は、握力の向上、歩行の改善、持久力、そして全体的な身体能力の向上をもたらした。これらのマウスは、より健康な骨を持ち、骨の分解が減少した)
出典: Scientists boosted one protein and aging mice became stronger and healthier : University at Buffalo
「ほら! やっぱりすごいじゃないですか! 握力向上、持久力アップ! これさえあれば、僕の三日坊主も過去のものに……!」
不老不死と観測スーツのあいだ
「落ち着いてください、潮目さん。あくまで『マウスの実験では』、という話です」
「いやはや、でも素晴らしいデータですよ! このTTPとかいうタンパク質を人間に応用できれば、もう誰も老化に悩まされなくなるかもしれない!」
潮目の目は、すでに人類の輝かしい未来を見据えていた。
「全人類が、年をとっても健康でパワフルに過ごせるんです! 僕らのように過酷なフィールド観測に出る研究者にとっては、まさに福音ですよ!」
「その発想が飛躍しすぎです。倫理的な問題もありますし、実用化には何十年とかかるでしょう。それに、これは特定のタンパク質を『増やした』結果です。潮目さんのように、ただ楽をしたいだけの人が安易に手を出していいものでは……」
「うっ……手厳しい……」
ナギの正論に、潮目はぐうの音も出ない。
「でも、もしですよ? このTTPのメカニズムを応用して、僕らの機材に組み込めたらどうでしょう? 例えば、着用するだけで身体能力をサポートしてくれる観測スーツとか!」
「観測スーツ……」
今度はナギが少し興味を示した。
「重い機材を軽々と運べたり、ぬかるんだ山道を疲れ知らずで歩けたり……。確かに、観測効率は飛躍的に向上するかもしれませんね。予算請求の稟議書も通りやすそうです」
「でしょう!?」
ガジェット開発の妄想で、二人の意見が珍しく一致しかけた、その時だった。
最高のトレーニング
ラボの入り口のドアが開き、巨大な段ボール箱がいくつも運び込まれてくる。それは、先日申請が通ったばかりの最新観測システム一式だった。
「潮目さん。妄想はそこまでにして、これを繋いでください」
ナギが指差したのは、とぐろを巻く蛇のように無数に束ねられた、鉛のように重い電源ケーブルと信号ケーブルの山だった。
潮目は一瞬、絶望的な表情を浮かべたが、すぐに何かを閃いたように顔を輝かせた。
「……ナギ君、分かりましたよ」
彼は腕まくりをすると、一番太くて重いケーブルの束を両手で力強く掴み上げた。
「うおおおっ! これ自体が、最高の筋トレじゃないですか! TTPなんて要りませんね!」
ずしりと腕にかかる重みに顔を歪めながらも、なぜか嬉しそうな潮目。その姿を見て、ナギは静かに、そして深いため息をつくのだった。