切り刻まれた植物は、なぜ蘇るのか?接ぎ木苗に隠された「細胞リセットボタン」の謎
なあ、これって地味にすごくないか?
ラボの片隅。窓から差し込む西日に照らされながら、潮目研究員は一本の小さな苗木を食い入るように見つめていた。
「なあ、ナギ君。これ、ホームセンターで買ってきたトマトの苗なんだけど」
「ええ、知ってます。潮目さんが昨日、ケーブルに足を引っかけて土をぶちまけた苗ですね」
ナギは床に残った土の痕跡を指差しながら、冷静に答える。
「うっ……それはすまん。じゃなくて! この『接ぎ木』って、よく考えたらすごくないか?」
潮目は苗の根本、少しだけ色の違う部分を指さした。そこは、二つの違う植物が一つに繋がれた痕跡だった。
「下の強い根を持つ植物と、上の美味しい実がなる植物を合体させる。当たり前のように見てたけど、冷静に考えると異種生命体の融合手術じゃないか、これ」
「今更ですか。桜の名所を作っているソメイヨシノだって、全部接ぎ木で増やされたクローンですよ」
「そうなんだよな! 植物って、なんでこんなことが許されるんだろう。動物だったら大変なことになるのに。切られて、繋がれて、それでも平然と生きている。いやはや、不思議ですよね!」
目を輝かせながら語る潮目に、ナギはふぅ、と一つため息をついた。
「その『不思議』の核心に触れるデータがあります。潮目さんがぶちまけた土を掃除しながら見つけました」
傷が押す「リセットボタン」
ナギは無表情のままタブレットをスワイプし、潮目の前に差し出した。
「植物は傷つけられると、ただ治すだけじゃない。もっと根本的な『何か』を起動させているようです」
画面には、英語で書かれた論文のアブストラクトが映し出されていた。
In this study we identify the Arabidopsis HEAT SHOCK FACTOR A1 (HSFA1) class of transcription factors, which are key regulators of the heat stress response, as central players in wound-induced callus formation and shoot regeneration.
(本研究では、熱ストレス応答の主要な制御因子であるシロイヌナズナのHEAT SHOCK FACTOR A1(HSFA1)クラスの転写因子が、傷害によって誘導されるカルス形成とシュート再生における中心的な役割を担うことを特定した。)
出典: Wounding activates the HSFA1 transcription factors to promote cellular reprogramming in Arabidopsis : The Plant Cell
「HSFA1……熱ストレス応答因子? 熱に反応する遺伝子が、傷からの再生に関わってるってことか?」
「ええ。そして、その応用範囲は計り知れません。こちらが国内の研究所が出したプレスリリースです」
ナギはもう一枚の資料を提示する。
本研究で得られた知見は、穀物や野菜、果樹などにおける再生・育種技術の高度化や、組織培養・遺伝子導入技術の改善など、応用面への展開が期待されます。特に再生が困難な植物種においてリプログラミング能力を高める技術の開発に貢献することが期待されます。
出典: 傷害が誘導する植物再生の仕組み-熱ストレス応答因子HSFA1が細胞リプログラミングを制御- : 理化学研究所
「再生が困難な植物のリプログラミング能力を高める……。つまり、接ぎ木が難しい植物でも、くっつけられるようになるかもしれないってことか!」
潮目の声が、静かなラボに響き渡った。
植物はサイヤ人だった?
「待ってくれナギ君! データAの『HEAT SHOCK FACTOR』って言葉、ヤバくないか!?」
潮目はタブレットを掴んで興奮気味に叫んだ。
「つまり植物は、傷つけられるとカッ!と熱くなって、バーサーカーモードに突入するんだよ! 瀕死の状態から蘇ると戦闘力が爆上がりする、ドラゴンボールのサイヤ人みたいに!」
「……熱くなるわけではありません。潮目さんの頭はいつも沸騰していますが」
ナギは呆れたように首を振った。
「これは、もともと熱などのストレスから身を守るための遺伝子が、傷の修復にも転用されている、という話です。植物は傷を『生命の危機』というシグナルとして捉え、細胞を一度リセットする。いわば、分化した細胞をもう一度『何にでもなれる』状態に戻して、そこから新しい組織を作り直しているんです」
「細胞のリセット……リプログラミングか! なるほど、だから切り口から新しい根や芽が出てくるのか。まるでセーブポイントからやり直すみたいだ」
「その通りです。だからこそ、別の植物を繋いでも『そういうものだ』と認識して、融合してしまう」
「すごいな……。じゃあさ、このHSFA1を人工的に活性化させるスプレーとか作れないかな? ラボの壁にシュッて吹きかけておけば、ヒビが入っても自己修復してくれる壁になる!」
「それはもう植物ではなく、完全にSFに出てくる自己修復ナノマシンですね。ボスの承認が下りるとは思えません」
ナギの的確なツッコミに、潮目は「だよなあ」と肩を落とした。
データと風景のあいだで、苗木は芽吹く
潮目は再び、窓辺の小さな苗木に目をやった。
一本の苗。しかし、その中では異なる遺伝子が手を取り合い、傷を乗り越え、細胞がリセットされ、新たな生命として再構築されている。
「植物って、僕らが思っているよりずっとダイナミックで……なんだか、生き物っていうより『システム』みたいだな」
潮目がポツリと呟いた。
「ええ」
ナギもまた、その苗木を見つめる。
「傷つけば自らを初期化し、新たな可能性を生み出す。データは常に更新され、風景は再構築される……。まるで、私たちラボトロニカのテーマそのものですね」
静かな時間が流れる。
西日に照らされた苗木の小さな葉が、まるで観測の終わりを告げるかのように、ゆっくりと揺れていた。