【新種の甲虫「Luffy」が進化の謎を解く?】|分類学の海で見つけた偉大なるゴムゴム

夏の終わりのデイドリーム
うだるような暑さが、ラボトロニカの観測ラボにも容赦なく流れ込んでいた。本来なら今頃、潮目とナギは日本のどこかの山奥で泥にまみれているはずだった。
だが、記録的な猛暑はあらゆるフィールドワークの計画を中断させた。日本中を駆けずり回っていた二人は、久々にクーラーの効いたラボでのデータ検証作業に追いやられていたのだ。
「はぁ〜……。涼しいのはいいけど、こうもラボに缶詰だと体がなまるよな。最近、アニメも全然見れてないし」
「健脚も、これでは宝の持ち腐れですね。アニメなら見れてないサブスクのが山ほどありますけど、見ます?」
「いや、そういうことじゃなくてさ! リアルタイムのワクワク感が欲しいんだよ、ナギ君。大冒険とか、世界の謎を解き明かす、みたいなさ! そうだな、たまには海賊船に乗ってみたいとか思わない?」
子供のように口を尖らせる潮目に、ナギは静かにモニターをタップする。そこには、一枚の学術論文が表示されていた。
「潮目さん。大冒険は、なにも海賊船に乗るだけがすべてではありませんよ。ほら、こんなデータはどうです?」
そのタイトルを見て、潮目の目がカッと見開かれた。少年のような好奇心が、ラボの空気を揺らす。
その名は、大海原を目指す者
「ちょっ、ナギ君! これ! この論文のタイトル!」
「ええ。私も二度見しました。では、まずは一次情報から確認しましょう」
ナギが指し示したモニターには、簡潔ながらも研究者たちの興奮が伝わってくるような一文が引用されていた。
This genus exhibits a unique combination of characters intermediate between the Eucibdelus lineage and other members of the Ocypus-group.
(この属は、Eucibdelus系統とOcypusグループの他のメンバーとの中間的な形質のユニークな組み合わせを示す。)
出典: Luffy gen. nov., a new genus of Staphylinina (Coleoptera, Staphylinidae, Staphylininae), remarkable for understanding the Eucibdelus lineage : ZooKeys (配信元: ZooKeys)
「Luffy gen. nov. ……新属、ルフィ! マジか! 学名にあの名前をつけちゃうなんて、最高じゃないか!」
「発見者のユーモアとリスペクトが感じられますね。そして、この『中間的な形質』という部分が重要です」
「中間的、っていうと?」
「こちらの解説記事が分かりやすいかと」
そう言ってナギが隣のモニターに表示させたのは、この発見を報じるニュース記事だった。
By occupying this unusual position, the genus helps fill an important gap in the existing classification system. It also offers a fresh perspective on the evolutionary history of the subtribe Staphylinina.
(この特異な位置を占めることで、この属は既存の分類体系における重要なギャップを埋めるのに役立ちます。また、ハネカクシ亜族の進化の歴史に新たな視点を提供します。)
出典: These bizarre new beetles look so stretchy scientists named them Luffy : Pensoft Publishers (配信元: ScienceDaily)
「なるほど……。分類システムのギャップを埋める……。そういうことか!」
「ええ。つまり、この新属『Luffy』は……」
「進化の歴史における『ミッシングリンク』、失われたピースを見つけたってことだろ! いやはや、これは大発見ですよ!」
クーラーの冷気も吹き飛ばすような熱量で、潮目は身を乗り出した。
分類学という名の「偉大なる航路」
「すごい、すごすぎる! ってことは、この甲虫、もしかしてゴムゴムの実を食べたみたいに体がビヨーンって伸びたりするのかな!?」
「残念ながら、その身体的特徴から名付けられたわけではないようです。あくまで発見者が敬意を表したものでしょう。……本当に残念です」
「そうだね、本当に残念だ」
二人揃って、うーんと腕を組む。。
「だよなー。でもさ、進化の歴史の空白を埋めるって、まるで歴史の本文(ポーネグリフ)を見つけたみたいなロマンじゃないか! これぞ、科学者にとっての『ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)』だよ!」
「表現は過剰ですが、その解釈で相違ありません。これまで点と点だった分類群を、この『Luffy』が線で結んだ。まさにそういうことです」
潮目は興奮冷めやらぬまま、腕を組んで天井を仰いだ。
「この虫の『中間的な形質』っていうのは、きっと特殊な体の構造を持ってるってことだよな……。もしそのメカニズムを解析できたらさ、ラボトロニカの観測ドローンに応用できるかもしれない!」
「と、いいますと?」
「例えば、伸縮自在の観測アームとか! 今まで入れなかった狭い岩の隙間とか、樹木の穴の奥深くまで、このアームを伸ばして観測できるんだよ! まさに『ゴムゴムの銃(ピストル)』みたいに!」
「なるほど。実現すればフィールドワークの効率が飛躍的に向上しますね。ですが適切な素材がないので、そこから研究することになりますよ。予算、ボスは承認してくれるでしょうか」
潮目が「うっ」と息を詰まらせた、その時だった。
背後に立つ、絶対的な存在
「――その稟議書、もしあるなら、私が目を通してあげてもいいわよ」
凛として、しかし有無を言わせぬ圧を伴った声が、二人の背後から響いた。
「しょ、所長!?」
「ボス……いつの間に」
そこに立っていたのは、漆黒の髪を揺らし、ラボの雑然とした空気とは不釣り合いなほどに優雅な白波所長だった。彼女は潮目のモニターを覗き込み、細く美しい指で画面の「Luffy」という文字をなぞる。
「Luffy……。いい名前ね。あのゴム人間の彼のように、常識をひっくり返す発見になるかもしれないわ」
「えっ……? あの、所長……もしかして、ワンピースご存知なんですか?」
恐る恐る尋ねる潮目に、絶対零度の表情を崩さなかった所長の動きが、ほんのわずかに、コンマ数秒だけ固まった。
そして、ふいっと顔をそむけ、窓の外に視線を移す。
「……昔、親戚が読んでいたのを、少しだけ目にしただけよ。アラバスタ編までしか見てないのよね」
「はあ、だいぶ前ですね」
「私が好きなのは銀河英雄伝説と、アルジェントソーマね」
「銀英伝はわかりますけど、アルジェントソーマって、なんか聞いたことあったようななかったような。ああ、エヴァっぽいやつ?」
「断じて違うわ!」
ビシッと言い切る所長もまた美しい。
その声はどこまでもクールだったが、潮目にははっきりと見えた。ガラスに映った所長の耳が、ほんのりと赤く染まっているのを。
「……おっといけない。語ると長くなっちゃうわ。それよりも潮目。その甲虫の生態調査、許可するわ。パプアニューギニアへの渡航も含めて検討しましょう。稟議書、30分で仕上げて私のデスクに提出なさい」
そう言い放つと、彼女はカツン、とハイヒールを鳴らしてラボを出ていく。その背中は、どこまでも気高く、美しかった。
なんとなく、何らかの作品のエンディング曲らしき鼻声らしきものが聞こえたのも、決して幻聴ではないと思う。
後に残された二人は、しばし呆然とその姿を見送っていた。
「なんだか、今の所長、めちゃくちゃかっこよくなかった?」
「ええ。あと、ボスの赤面データは極めてレアです。高解像度でサンプリング完了。永久保存プロセスに移行します」
「ナギ君、しっかりしてる! ……じゃなくて、やばい! 稟議書、30分で書かないと!」
久々のデータ検証は、思いがけず、偉大なる冒険の始まりを告げていた。
