【公平なサイコロの作り方とは?15年の研究成果】|いやその執着心ドン引きよ。市場の女神と確率のワルツ

市場からのSOS
ラボに潮目の少しうわずった声が響く。普段の観測データに対する興奮とは明らかに違う、焦りの色。電話の相手は見えないが、その内容は断片的に聞こえてくる言葉から推測できた。
「……え? 追証? に、二階建てって何のこと?必ず返すって言われても、だから俺、そういうの疎いから……」
どうやら潮目の親友が、某半導体メーカーの株式に手を出したらしい。それも現物と信用買いを組み合わせるという、ハイリスクな手法で。その直後、株価はナイアガラの滝のように急落した。
電話口で半泣きになっている友人に、潮目はなすすべもなく狼狽えるばかりだ。投資なんて、インデックスファンドの積立設定をしたきり放置している彼には、異世界の呪文にしか聞こえない。
かならず絶対返すから、などと何度も悲鳴が漏れ聞こえてくる。ナギが、すっと潮目のモニターにメッセージをポップアップさせる。
『検討に検討を加速して後ほど返事する可能性がある、それにこれから会議だといって切りましょう』
「あ、ああ! ご、ごめん! まさに今から大事な会議で! け、検討を加速させてまた連絡する可能性があるかもしれないから!」
ぎこちなくテンプレを読み上げ、潮目は慌てて通話を切った。深い溜息をつく彼の背後で、冷たく、しかし澄み切った声がした。
「……聞こえていたわよ、潮目」
「しょ、所長!?」
いつの間に現れたのか。黒髪を揺らし、白波所長が腕を組んで立っていた。その完璧な微笑みは、絶対零度の空気をラボに運び込む。
15年越しの問い
「あなたの友人は、ランダムウォークする市場で、サイコロの目が偏る方に全財産を賭けた愚か者ね」
所長の言葉に、潮目は返す言葉もない。
「はぁ……」
「でもね、潮目。世の中には、そのサイコロの目を完璧に公平にしようと、人生を賭ける人間もいるというのに」
「公平な……サイコロ、ですか?」
所長は指先一つでメインスクリーンを操作し、一つのテキストデータを映し出した。それは、ある大学のウェブサイトからの引用だった。
It took nearly 15 years, researchers around the world and enough computing power to search through a universe of possibilities to answer one question: Who goes first?
(日本語訳)1つの問いに答えるために、15年近い歳月と世界中の研究者、そして無限の可能性の中から探索するのに十分な計算能力が必要だった。その問いとは「誰が先に行くのか?」である。
出典: COSAM lecturer's dice design solves board gaming's most surprisingly complex problem — who goes first? : Auburn University (https://wire.auburn.edu/content/ocm/2026/08/08141416-eric-harshbarger-dice.php?utm_medium=web&utm_source=chatgpt.com)
「これって……」
潮目の目が、テキストに釘付けになる。
「ただのサイコロじゃないわ。『Go First Dice(先攻決定ダイス)』と呼ばれるものよ。例えば5人で遊ぶ場合、120面体や60面体といった特殊なサイコロを使う。各面には重複しない1から300までの数字が刻まれており、誰が振っても『誰か1人が必ず1位になり、かつ確率は完全に平等(5分の1)』になるわ」
「ひ、120面体!? 60面体!? サイコロの域を超えて丸くなってるじゃないか!」
ナギも記事を食い入るように読解する。
「なるほど、この『引き分けが絶対に起きない数字の割り当て』を探す作業は絶望的だったと。その組み合わせの数は『宇宙に存在する全原子の数』よりも多かった、らしいですよ」
「う、宇宙の原子の数……!?」
白波所長が優雅に頷く。
「ある研究者がスーパーコンピューターを『夏休みの3ヶ月間』フル稼働させて探索し、得られた成果は『宇宙の原子の数から、わずか1.7個分可能性を減らせた』だけだったそうね」
「3ヶ月間スパコン回して1.7個分!? 途方もなさすぎて頭おかしくなりそう!!」
「ちなみに研究者は『四捨五入して2個分進んだことにしよう』と笑っていたそうよ」
「ポジティブすぎるだろ!!」
「そして15年後、ついに60面体ダイスで完全な数学的解が証明された時、最初に『あいこが出ないサイコロ作れる?』と軽い気持ちで質問した発案者の友人は、こう言い放ったそうね。『お前ら、やりすぎだろ』と」
「言い出しっぺが引いてるじゃん!!」
神はサイコロを振るか?
「それにしても15年もかけて『誰が一番か』を決める方法を探したってことですか……」
潮目の声が、いつもの知的好奇心を取り戻して弾む。
「ボードゲームなどにおける先攻・後攻の決定は、時にゲームの勝敗を左右する致命的なアドバンテージになり得ます。その機会均等を完全に担保するための研究は、極めて合理的です」
ナギが冷静に補足する。
「いやはや、凄まじい執念ですよ! この究極に公平なサイコロがあれば、僕らの観測におけるランダムサンプリングも、より神の領域に近づけるんじゃないですか!?」
「潮目さん。ラボのシステムに搭載されている擬似乱数生成アルゴリズムの精度で、統計的には十分な公平性が担保されています。物理的なサイコロを毎回振るコストと時間の方が問題かと」
「でも! でもですよナギ君! この神のサイコロを観測ドローンに搭載して、飛行ルートを完全にランダムに決定させたらどうです!? 確率的に公平なら、基本的にまんべんなく観測ルートをなぞれて、期待できる情報収集結果が、効果的に集められる。そうすると、すでに観測済みの地域を再観測したら、見落としていて、かつ今まで誰も見たことのないデータが取得できるかもしれない!」
興奮して身を乗り出す潮目。ナギは静かに首を横に振った。
「それは観測ではなく、ただの博打ですよ、潮目さん。二階建て投資の危うさを聞いたばかりでしょうに」
「うっ……」
ナギの的確な指摘に、潮目は言葉を詰まらせた。
慈悲なきアルゴリズム
その二人のやり取りを見ていた所長が、ふっと微笑む。そして、潮目の肩にそっと手を置いた。
「潮目。そのサイコロはね、純粋な好奇心と知性の結晶よ。でも、市場(マーケット)は違う」
優雅な仕草とは裏腹に、その声は刃物のように鋭い。
「市場(マーケット)はね、欲を最も効率的に換金する装置よ。潮目、そのお友達に伝えてあげなさい」
「は、はい! 何て伝えれば!?」
「『全ポジションを決済(損切り)して退場なさい。追証の不足分はサラ金から借りなさい。利息ぶんだけなら貸せるかもしれない。なあに、かならず返済できるなら、僕に返すかサラ金に返すかだけの違いだし、何も問題ないだろ』とね」
所長の言葉に、潮目は息を呑む。
「……ちなみに潮目、あなた自身の財布からお友達にお金を貸したら、次はあなたが当ラボで二階建て労働(夜勤+休日観測)をすることになるわよ」
「それは慈悲もない」
かろうじて絞り出した潮目の言葉に、所長は完璧な笑みを深めた。
「私の説明を聞いて、なお過ちを犯す愚か者には身を持って制裁する。合理的なだけだわ」
ラボの静寂の中、公平性を求める科学の光と、欲が渦巻く市場の闇が、鮮やかなコントラストを描いていた。
