善意がアダに?関節サプリ「グルコサミン」とアルツハイマー進行の不都合な関係
親孝行と一粒のサプリメント
ラボに響くのは、冷却ファンの静かな音と、時折潮目が立てるマグカップの音だけ。
そんな静寂を破ったのは、潮目のスマートフォンのスピーカーから漏れ聞こえる、やけに明るいCMソングだった。
「ひざ、腰、元気に歩こう〜♪」
モニターのデータから顔を上げた潮目は、遠い目をして呟いた。
「グルコサミンかぁ…」
最近、実家の両親が階段の上り下りを少し辛そうにしていたのを思い出す。CMの軽快な音楽が、親孝行心をくすぐった。
「よし!決めた!うちの両親にも、これ買って送ってやろうかな」
善意100%の笑顔で潮目が購入ボタンを押しかけた、その時だった。
「潮目さん、その親孝行。少しお待ちいただいた方が賢明かもしれません」
背後から、氷のように冷静なナギの声がした。
善意を覆す観測データ
「え? ナギ君? どうしてです?体にいいものじゃないですか」
潮目が振り返ると、ナギは無表情のままタブレットをスワイプしていた。
「ええ、関節には、そうかもしれません。ですが、脳にとっては別の話のようです」
そう言うと、ナギはメインモニターに一本の論文を映し出した。
「ちょうど今、興味深い観測データが届きましたので」
A retrospective analysis of electronic health records from patients with AD with varying disease severity shows that glucosamine supplementation is associated with accelerated AD progression and worsened survival.
(様々な重症度のアルツハイマー病患者の電子カルテのレトロスペクティブ解析から、グルコサミンの補給がアルツハイマー病の進行加速および生存率の悪化と関連していることが示された。)
出典: Hyperglycosylation is a metabolic driver of Alzheimer’s disease. : Nature Metabolism (配信元: nature.com)
「進行が…加速? 生存率の…悪化!?」
潮目の顔から血の気が引いた。良かれと思ったサプリが、真逆の結果と関連しているという。
「うそでしょ…」
「さらに、こちらの解説記事もご参考に」
ナギは追撃の手を緩めない。
A lot of these people actively take an over-the-counter supplement that could be making their disease progression worse.
(これらの人々の多くは、病気の進行を悪化させる可能性のある市販のサプリメントを積極的に摂取しています。)
出典: Popular joint supplement glucosamine linked to faster Alzheimer’s progression : UF Health (配信元: ScienceDaily)
「うわぁ…」
潮目は頭を抱えた。
「これ、知らないで飲んでる人、世界中にたくさんいますよね…」
脳を蝕む「過剰な糖」の正体
「しかし、一体どういうメカニズムなんです? グルコサミンって糖の一種ですよね」
潮目はモニターに映る論文のキーワードを指差した。
「この『Hyperglycosylation』…過剰なグリコシル化? まるで、未知のウイルスが脳を糖でハッキングするみたいじゃないですか!」
「SFの世界ではありませんよ、潮目さん」
ナギは淡々と訂正する。
「アルツハイマー病の脳では、主要なエネルギー源であるグルコースの代謝が低下します。その代替経路としてグルコサミン由来の代謝が過剰に活性化し、結果としてタンパク質に異常な糖鎖が付加される。それが病状を悪化させる、という仮説です」
「なるほど…エネルギーになるはずの糖が、いわば『暴走』してしまうわけですか」
潮目は腕を組んで唸った。だが、次の瞬間、その目は研究者のそれに切り替わる。
「待ってくださいよ、ナギ君!もしこの『過剰な糖化』という現象をリアルタイムで検知できる超小型センサーがあったら…?」
「病気の早期発見や、進行度のモニタリングに応用できる可能性はありますね」
「そう!それをうちの観測ドローンに搭載して、フィールドに散布するんです!そして大気中の微粒子から、生態系全体の異常糖化を観測する!もしかしたら、これは人間だけの問題じゃないかもしれない!」
「…潮目さん。話が三段跳びで、地球の裏側まで飛んでいきました。まずは目の前の電子カルテのデータから読み解きましょう」
ナギは呆れたように首を振った。
本当に心配すべきは
「いやはや、危ないところでした。ナギ君が止めてくれなかったら、僕、とんでもない親不孝をするところでしたよ」
潮目は心底ホッとした表情で、自分の胸をなでおろした。
そして、ふと真剣な顔でナギの方を振り返る。
「ナギ君も、気をつけてくださいね。君は僕の大事なパートナーなんですから。もし君がアルツハイマーになったら、僕、ラボで一人じゃ何もできなくなっちゃいます」
しばしの沈黙。
やがて、ナギはラボの天井を仰ぎ見て、深いため息をついた。
「潮目さん」
「はい」
「私はラボトロニカの自律型サポートAIです。生体脳は搭載されていませんので、アルツハイマー病にはなりません」
「あ、そっか…」
気まずそうに頭を掻く潮目に、ナギは静かに言葉を続けた。
「それよりも、ご自身の心配をしたらどうです? 先日からずっと同じケチャップのシミが白衣についていますし、昨日はコーヒーメーカーの粉を入れ忘れて、ただのお湯を飲んでいましたよ」
「うっ…」
「その物忘れの方が、よほど…」
「わー!わー!聞こえませーん!」
潮目は耳を塞いで、そそくさと自分のデスクへ逃げていくのだった。