若者よ、畑を捨て、スマホに集え? ~プランテーション労働の未来~
揺れる農村の現実
深夜のラボ。
普段は静寂に包まれているはずの空間に、突然ハイヒールの軽快な音が響き渡る。
「…所長?」
潮目研究員は、手に持ったコーヒーカップを危うく落としそうになりながら、顔を上げた。
しなやかなシルエットがすっと伸びてくる。
黒髪は艶やかに流れ、その瞳は鋭くラボの中を捉えていた。
白波所長だ。
彼女が現れると、ラボの空気は一瞬で張り詰める。
「潮目、そのデータ、把握しているの?」
白波所長は無造作に持っていたタブレットを潮目研究員に突きつけた。
画面には無数の数字とグラフが羅列している。
「え、あ、はい。今、まさに…」
潮目研究員は、普段のドジっ子ぶりを封印し、背筋をピンと伸ばした。
隣では、助手ナギが静かに、しかし確かな存在感で所長と向き合っていた。
揺らぐ労働力の未来
Research conducted by John McCarthy, a political scientist at the Australian National University, shows that rural youth are increasingly turning away from agricultural work, which is seen as physically demanding, socially undervalued, and poorly paid.
オーストラリア国立大学の政治学者であるジョン・マッカーシー氏による研究では、農村部の若者は、肉体的に厳しく、社会的に軽視され、賃金も低いと見なされている農業労働からますます遠ざかっていることが示されている。)
出典: The Conversation (https://theconversation.com/palm-oil-cocoa-coffee-whos-going-to-tend-to-tomorrows-large-tropical-plantations-278050)
「へえ、マッカーシー氏の研究ですか。やはり農村部の若者は農業から離れていってるんですね。肉体的にきついし社会的な評価も低いとなると、そりゃあ魅力がないですよね。」
潮目研究員は、タブレットの画面を食い入るように見つめる。
「しかし潮目さん。それだけではこの現象の深さは計りきれません。」
ナギが冷静に口を挟む。
「 これは単なる農業離れではなく、熱帯プランテーション、特にパーム油やココア、コーヒーなどの生産現場における深刻な労働力危機に繋がっていると」
「そうなんです、所長。大規模プランテーションの存続を揺るがすほどの問題になっていることを示唆しています。環境認証は進んでいても、肝心の労働条件や社会的な魅力という部分が、置き去りにされていると…」
潮目研究員は、顔を曇らせた。
データと泥まみれの現実
「つまり、環境に配慮した『持続可能』な生産を謳っていても、そこで働く人たちの『持続可能性』が脅かされている、と?」
白波所長の声には、一切の感情が乗っていなかった。
その言葉の鋭さは、ラボの空気をさらに冷たくする。
「そうですよ、所長! このままじゃ普段使っているものが、手に入らなくなるかもしれません…」
潮目研究員は、情熱的に語り始めた。
「いや待ってください。もしかしたら、これってチャンスなんじゃないですか? 」
「チャンス?」
「そうです。若者が畑を離れるということは、新しい技術や、もっと楽で、もっとクリエイティブな働き方を求めている、ってことですよね!」
白波所長の顔にうっすらとした影がさしたのは、たぶん見間違いではないだろう。
ナギは、冷静に潮目研究員の仮説に水を差す。
「潮目さん、それは楽観的すぎませんか? 低賃金、過酷な労働条件、低い社会的地位。これらの問題は、単に『新しい技術』で解決できるものでしょうか? そもそも農作業は『肉体的に厳しい』というだけでなく、土や自然と向き合う、本来なら非常に奥深い営みのはずです。」
「うーん、そう言われると… でも、例えば、ドローンで精密に農薬を散布したり、AIで収穫時期を最適化したりすれば、肉体的な負担は減らせますよね? あと、SNSで『#農園ライフ』とかハッシュタグをつけて、かっこいい農園の様子を発信したら、イメージも変わるんじゃないでしょうか!」
潮目研究員は、目を輝かせた。
「それは、あくまで『一部』の技術的な改善に過ぎません。肝心なのは、人がその仕事に誇りを持てる社会的な『価値』をどう創出するか、ではないでしょうか。環境認証のように労働者を守るための、より強力な『社会的認証』的なものが必要になってくるのかも」
ナギは、真剣な表情で続けた。
「その『社会的認証』…! それを、ラボトロニカの観測技術で可視化できたら素敵ですよね。 例えば農園で働く人たちの表情や、彼らが感じる『やりがい』をバイタルデータや脳波で捉えて、それを美しい風景データと掛け合わせるんです。そうすれば、『このコーヒーは、こんなに幸せな顔をした人たちが作っているんだ』って、消費者にダイレクトに伝えられる!」
潮目研究員は、興奮を隠しきれない。
「なるほど。労働者の『状態』をデータ化し、それを『体験』として提供する、と。それなら、単なる労働力不足という問題だけでなく、農業という仕事そのものの『価値』を再定義できるかもしれませんね。」
白波所長は静かに頷いた。その表情に微かに興味の色が浮かんでいた。
「ただ潮目。あなたの提案には、もう少し『泥臭い』部分も必要ね。」
白波所長は、挑むような視線を潮目研究員に投げかける。
未来への出撃
「泥臭い…ですか?」
潮目研究員は、きょとんとした顔をした。
「そう。労働者が、その環境で『なぜ』そこまで頑張るのか、その『動機』を深く理解すること。彼らが直面する『困難』を、肌で感じること。そうでなければ、真の解決策にはならないわ」
白波所長は言い切ると、タブレットを操作し始めた。
「…所長、まさか…」
潮目研究員が何かを察したように呟く。
「ええ。プランテーションで働く人たちのリアルな生活環境と労働状況を、至急、現地観測しなさい。機材は即時に搬入するわ」
白波所長は冷徹な笑みを浮かべた。
「くっ…! 泥臭い現実、と。承知しました!」
潮目研究員は、歯を食いしばる。
「潮目さんに私も同行します。また機材をひっくり返さないようにアシストします」
ナギはいつものように、しかし今回はどこか決意のこもった声で言った。
「よし行くぞ、ナギ!」
潮目研究員は、サバイバルバックパックを掴み、ラボのドアへ向かう。
「…所長、後日、報告に参ります」
ナギは白波所長に一礼すると、潮目研究員の後を追った。
白波所長は、一人、静まり返ったラボに佇み、薄く微笑んだ。
その憂鬱な陰はいつの間にか消え、そこには知的な光が宿っていた。