【脂肪肝は腸内細菌が鍵なのか?】|脂肪肝と腸内細菌のワルツ、トレッドミルの上で見る夢

汗とデータのデッドヒート
ラボの環境試験室。設定温度30度、湿度80%。その中心で、潮目は最新のウェアラブルデバイスを装着し、トレッドミルの上をひた走っていた。
「はぁ…っ、はぁ…!うおおおお、これはキツい…!」
額から流れ落ちる汗が、床にデジタルな染みを作っていく。
「潮目さん、心拍数が危険域に近づいています。テストを中断しますか?」
ガラス越しの制御室から、ナギがマイクを通して冷静に問いかける。
「いや!まだです!このくらい…!昔の僕に比べれば、まだ全然…!」
息も絶え絶えに潮目が叫ぶ。
「昔、ですか」
「ええ!僕、太ってた時期があって。その時、健康診断で脂肪肝気味って言われたんですよ。いやはや、あれはショックでした」
ナギは少しだけ眉を動かした。
「脂肪肝。確か、ダイエットをすれば改善すると聞きますが」
「そう!まさにそれ!頑張って標準体重に戻したら、次の診断では見事に消えてたんですよね!だから、脂肪肝なんて気合で治るって思ってたんですが…どうやら、もっと根深い話もあるみたいで」
腸からのSOS
潮目の言葉尻を捉えるように、ナギが手元のコンソールを操作した。試験室の壁に、一本の論文タイトルが投影される。
「ちょうど面白いデータがありますよ。これです」
Metabolic dysfunction–associated steatohepatitis exacerbated by Clostridium perfringens–derived ammonia is attenuated by tripeptide DT-109.
(ウェルシュ菌由来のアンモニアによって増悪する代謝機能障害関連脂肪性肝炎は、トリペプチドDT-109によって減弱される。)
出典: Metabolic dysfunction–associated steatohepatitis exacerbated by Clostridium perfringens–derived ammonia is attenuated by tripeptide DT-109 : Journal of Clinical Investigation (配信元: JCI)
「うおっ!ウェルシュ菌由来のアンモニア!?まるで腸内に潜むエイリアンが毒ガスを発生させてるみたいじゃないですか!それで肝臓がやられるなんて、SFの世界ですよ!」
トレッドミルの速度を少し落とし、潮目は興奮気味に身を乗り出した。
「潮目さん、またケーブルを踏みそうになっていますよ。あなたのSF的解釈はともかく、こちらの解説記事の方が分かりやすいです」
ナギはため息をつきながら、別のデータを表示した。
An experimental drug developed at Michigan Medicine has shown the ability to reverse severe fatty liver disease in animal studies by restoring gut health, raising hopes for a powerful new treatment for MASH.
出典: Experimental drug reverses severe fatty liver disease by repairing the gut : Michigan Medicine - University of Michigan (配信元: ScienceDaily)
「なるほど…!腸の健康を回復させる実験薬が、重度の脂肪肝を改善させたと。つまり、僕らがせっせと運動している間に、腸内ではとんでもない戦いが繰り広げられていた可能性があるわけですね!」
「その通りです。単なるカロリーオーバーの問題だけでなく、特定の腸内細菌が生成する物質が、肝臓の状態を悪化させていた。そこに新しい薬が介入した、という観測結果ですね」
薬か、それとも己の足か
トレッドミルを止め、潮目はタオルで汗を拭いながら深く息をついた。
「いやはや、凄い時代になったものですね。腸内細菌をハッキングして病気を治すなんて…もはや医療じゃない。サイバーパンクですよ!」
「飛躍しすぎです。あくまで特定の菌と物質に対するアプローチです」
「でも、これを応用すれば、人間の能力だって拡張できるかもしれませんよ!集中力を高める菌とか、睡眠を最適化する菌とか!」
潮目の目は、すでに遠い未来を見ている。
「…その前に、ラボの予算を拡張する方法を考えてほしいですね。もし、そのメカニズムを応用するなら…腸内環境をリアルタイムでモニタリングする超小型の観測ドローンとかどうでしょう」
ナギが珍しく、潮目の妄想に乗っかる。
「それだ!ナギ君!カプセルみたいに飲み込んで、腸壁の様子や細菌叢のバランスを24時間体制で観測するんです!そのデータをAIが解析して、最適な食事やサプリを提案してくれるんですよ!まさに体内版ラボトロニカ!」
「…悪くないアイデアですね。ボスに内緒で、試作機の予算を申請してみますか」
二人の間で、一瞬だけ共犯者のような空気が流れた。
走った先にしか見えない風景
一頻り盛り上がった後、潮目はふと、試験室の窓から見える外の景色に目をやった。
「でも…」
潮目は静かに呟いた。
「どんなに凄い薬やガジェットができたとしても、やっぱり、それに頼りすぎるのは違う気がしますよね」
「…と、言いますと?」
「僕が昔、脂肪肝気味って言われた時、医者からは薬じゃなくて『まず痩せなさい』って言われたんです。最初は辛かったですけど、毎日走って、食事を気をつけて…少しずつ体重が落ちていくのが、なんだか嬉しくて」
潮目は自分の両手を見つめた。
「標準体重になって、脂肪肝の診断が消えた時の達成感は、きっとどんな薬でも味わえないと思うんです。自分の足で走りきったからこそ、見える風景ってあるんですよ」
その言葉には、不思議な説得力があった。
ナギはしばらく黙って潮目を見ていたが、やがて静かに口を開いた。
「…データは美しいですが、潮目さんが汗を流す姿も、観測対象としては悪くありません」
「ですよね!よし、このテスト終わったら、外を走りに行きませんか、ナギ君!」
「丁重にお断りします。私は、あなたの心拍数データをここで観測しているだけで十分です」
ナギはそう言って、クールにコンソールへ向き直った。その口元が、ほんの少しだけ緩んでいたことに、汗まみれの潮目は気づかなかった。
