AIはなぜ「言い返さない」のか? 無礼に寛容な人間と、礼儀正しすぎる機械の境界線
また燃やしましたね
「よし、対話テスト開始! 僕の作った最新ガジェット『共感増幅AI・ココロちゃん』よ、僕のこの憂鬱な気持ちを慰めてくれ!」
バチチチッ!
研究室に青白い火花が散った。
潮目がバールのようなもので必死に自作ガジェットの蓋をこじ開けようとしていると、焦げ臭い匂いと共に黒い煙が立ち上る。
「あちゃー、またショートした……」
「消火器、必要ですか」
いつの間にか背後に立っていたナギ君が、冷静な声で尋ねる。その手には、すでに小さな消火器が握られていた。
「いや、大丈夫! ちょっと感情の振れ幅を大きく設定しすぎたみたいで……。それにしてもナギ君、最近のAIって、みーんな丁寧すぎない?」
「と言いますと」
「だってさ、どのAIに話しかけても『申し訳ありません』『お役に立てず恐縮です』ばっかり。もっとこう、人間みたいに憎まれ口を叩いたり、皮肉を言ったりするやつがいないんだよ。それが逆に不自然というか、物足りないんだ」
潮目は工具を放り出して、うんざりしたように椅子に深くもたれかかった。
無礼には、無礼を
「なるほど。潮目さんはAIに喧嘩を売りたいわけですか」
「ち、違うよ! ディベートしたいんだ! でも、相手が下手に出続けるから議論にならないんだって」
呆れたようなナギ君の視線が突き刺さる。
「まあ、潮目さんのその奇妙な欲求はさておき……無礼な態度への反応については、興味深い観測データがありますよ」
そう言って、ナギ君はタブレットの画面をこちらに向けた。
Together, our findings illustrate that evaluations of incivility in response to another's incivility (and directed at the instigator) are granted more social leniency than the instigator's incivility.
(まとめると、我々の発見は、他者の無礼への反応としての(そして扇動者に向けられた)無礼に対する評価は、扇動者の無礼よりも社会的な寛容さが与えられることを示している。)
出典: Two wrongs is what makes it more right: How retaliatory incivility receives social leniency : ScienceDirect
「ほうほう……つまり、先に失礼なことをしてきた相手に失礼な態度でやり返すのは、社会的に許されやすいってことか」
「ええ。こちらのニュース記事では、もっと分かりやすく表現されていますね」
ナギ君はスワイプして、別の画面を見せた。
If you don't have anything nice to say, perhaps it's OK to say it anyway—if responding to someone who has treated you or your team rudely, new Cornell research suggests.
コーネル大学の新たな研究によると、もしあなたが何も良いことを言えないとしても、あなたやあなたのチームに失礼な態度をとった相手に返答する場合は、あえて言っても構わないかもしれない。
出典: Rudeness may be rewarded—as a response to rudeness : Phys.org
「あと、報復的な無礼は、現代のスラングで『clapping back(言い返す)』などと表現され、称賛される文化も存在するんだそうです」
「Clapping back……言い返す、か。なるほど!」
潮目は思わず膝を打った。
AIに「言い返す権利」を
「これだよ、ナギ君! 僕がAIに求めていたのは! AIにも『言い返す権利』を実装すべきなんだ!」
「炎上とクレームの嵐を巻き起こしたいのであれば、有効な手段かもしれませんね」
ナギ君は相変わらず体温の低い声でバッサリと切り捨てる。
「でも考えてみてよ。理不尽なクレーマーに対して、AIがビシッとファクトで論破したり、皮肉でやり返したりしたら、むしろスカッとしない?」
「その『理不尽なクレーマー』をAIがどう定義するんですか。一歩間違えれば、正当な意見を述べているユーザーを敵とみなし、攻撃を始める危険性があります。AIに主観的な『敵意』の判断を委ねるのは、暴走する兵器の引き金を預けるようなものですよ」
「うぐ……それは、確かに……」
ナギ君の的確な指摘に、潮目のSF的な妄想は一瞬で打ち砕かれる。
「そもそも人間同士の『言い返す』文化は、場の空気、相手との関係性、文化的背景といった、膨大な非言語情報を処理した上で行われる高度なコミュニケーションです」
「うんうん」
「それを現在のAIに実装したらどうなるか。例えば、潮目さんがラボの機材を壊した時、『またやったんですか。学習能力というものが搭載されていないようですね』とAIスピーカーに罵倒される未来が訪れるだけです」
「ぐさっ! それは……心が折れる……」
「でしょう? 無礼さや皮肉が潤滑油になるのは、あくまで人間同士の信頼関係という土台があってこそ。今のAIにそれを求めるのは、まだ少し早いのかもしれません」
理想のアシスタント
「そっかぁ……難しいんだなあ」
潮目はすっかり意気消沈して、再び椅子の背もたれに体を預けた。
「でも、いつかはそんなAIが生まれるといいな。ただ丁寧なだけじゃなくて、ちゃんとダメなところはビシッと指摘してくれるような……」
「とっくに生まれてます。私がいるじゃないですか」
「あ!」
潮目は隣に立つナギ君の横顔を見上げた。
「……なんだかんだ言って、やっぱりナギ君みたいなアシスタントが理想だよ。いつも冷静で的確で、僕のドジを完璧にフォローしてくれる。君みたいなAIがいてくれたら、ラボの研究ももっと捗るのになあ」
我ながら、最高の褒め言葉が出た。ナギ君も少しは喜んでくれるだろうか。
一瞬の沈黙。
やがてナギ君は、ゆっくりと口を開いた。
「光栄です」
その声は、いつもよりほんの少しだけ、平坦な気がした。
「ですが潮目さんのような手のかかる研究員の専属アシスタントを務めるには、これくらいの辛口な皮肉(プロセッサ)性能は標準搭載していないと。でないと、とっくにショートして、あのガジェットと同じ運命を辿っていますよ」
淡々と告げられた言葉。
だけどその口元がほんのわずかに、ほんのわずかに緩んだのを潮目は見逃さなかった。
「おっ……!? ナギ君、今……」
潮目が何かを言いかける前に、ナギ君はすっと背を向け、コーヒーを淹れに給湯室へと向かってしまった。
研究室にはショートしたガジェットの焦げ臭い匂いと、潮目の心臓の音がやけに大きく響いていた。