小惑星リュウグウからの手紙? 巨大有機分子に刻まれた宇宙からのメッセージとは
怪しい木箱と宇宙からの便り
ラボの片隅に、物々しい封印が施されたジュラルミンケースが鎮座している。潮目はバールのようなものを片手に、そのケースと睨めっこしていた。
「くっ……! 開かない! さすがは宇宙からの贈り物、厳重なプロテクトだ!」
「潮目さん、それは昨日届いた新しい分光計のケースです。あと、手に持っているのはただのタイヤレバーですよ」
呆れた様子のナギが、背後から声をかける。
「えっ、そうなの!? てっきりJAXAから極秘に回ってきたリュウグウのサンプルかと……」
「そんなものが民間の、しかも我々のようなラボに回ってくるわけないでしょう。それより、もっと本質的な『宇宙からの便り』なら、ここにありますよ」
ナギはそう言って、タブレットの画面を潮目の目の前に突き出した。
予想外の「巨大すぎる」発見
「うわっ! これ、リュウグウの分析データじゃないですか! しかも、ネイチャー・コミュニケーションズの論文!」
潮目はタイヤレバーを放り投げ、画面に食い入るように顔を近づけた。
「はい。特に注目すべきは、有機分子に関するこの記述です」
We find a wide variety of polycyclic aromatic hydrocarbons (PAHs), many of which are unexpectedly large in size. The largest one is composed of approximately 100 fused rings, significantly larger than the extraterrestrial PAHs identified in previous ensemble-level analyses.
(我々は多種多様な多環芳香族炭化水素(PAH)を発見したが、その多くは予想外に大きなサイズであった。最大のものは約100個の縮合環から構成されており、これまでのアンサンブルレベルの分析で同定された地球外PAHよりも著しく大きい。)
出典: Direct observation of organic molecules in asteroid ryugu revealed by high-resolution atomic force microscope : Nature Communications
「100個の縮合環……!? なにこれ、めちゃくちゃ複雑じゃないですか! まるで人工的な設計図か、何かの暗号に見えますよ!」
「ええ。この発見は、国内でも大きな期待を集めているようです」
ナギは淡々と、もう一つのウィンドウを開いて見せた。
今後は、この革新的な測定手法をより広範な地球外試料に応用していくことで、宇宙における有機分子の化学進化の過程、さらには太陽系の形成や地球生命の起源へとつながる物質進化の全容解明に向けた研究が飛躍的に進展すると期待されます。
出典: 小惑星リュウグウから予想外の巨大有機分子を発見 ――従来の常識を覆す立体構造を持つ巨大有機分子を直接観察―― : 東京大学
これは生命の設計図なのか?
「そうでしょう! これはもう、ただの有機分子じゃない! 知的生命体からのメッセージですよ、ナギ君!」
潮目の瞳が、少年のようにキラキラと輝き始めた。普段ならナギが冷水を浴びせるところだが、今日の彼女は少し違った。
「メッセージ、ですか」
「そうだよ! 宇宙人襲来映画でよくあるだろう? 人類には理解不能な情報パッケージを送りつけてきて、それを解読したら超技術が手に入るっていう……。このPAH(多環芳香族炭化水素)の立体構造こそ、彼らが我々に送った設計図なんだ!」
「なるほど。ワープ航法エンジンのような?」
ナギの意外な返答に、潮目はさらに勢いづく。
「その通り! もしかしたら、地球の生命の起源だってそうかもしれない。何十億年も前に、宇宙人が生命の『種』となる有機分子を地球に送り込んだ。僕らはその末裔で、これは『そろそろ次のステージに進みなさい』という、ご先祖様からの招待状なんだよ!」
「壮大な仮説ですね。その『種』が地球という環境で進化し、私たちになったと」
「そう! そしてこの巨大有機分子こそ、次の進化への鍵! この構造パターンを解析して3Dモデルを構築しよう! 絶対に何か隠されているはずだ! これを解読できれば、僕らも星々の海へ……!」
妄想が最高潮に達した潮目は、ガッツポーズで天を仰いだ。
宇宙の煤とラボの煤
興奮冷めやらぬ潮目に、ナギは静かに向き直った。
「潮目さん」
その声は、いつもの冷静なトーンに戻っていた。
「なんだいナギ君! もしかして君も、宇宙からのメッセージを感じたのかい!?」
「いえ」
ナギは首を横に振る。
「その有機分子ですが、アミノ酸は含まれていなかったそうです。なので、生命の直接的な材料というよりは、ただの『宇宙の煤(すす)』に近いかと」
「……え? す、煤?」
潮目の動きが、ピタリと止まる。
「はい。非常に複雑で大規模な、ただの煤です」
ナギは一呼吸おいて、焦げ跡が残るラボの壁を指差した。
「潮目さんが先日、自作の観測機材を盛大にショートさせた時に出た煤と、成分的には、まあ、大差ありません」
ラボに気まずい沈黙が流れる。
潮目はゆっくりとジュラルミンケースの方に視線を移し、床に転がったタイヤレバーを、そっと拾い上げた。