恋は吊り橋の向こうに?ときめきの正体をデータで暴く夜
また燃やしましたね
バチッ!という耳障りな音と、焦げ臭い匂いがラボに立ち込めた。
火花を散らすヘッドギアのようなものを被った潮目が、頭を振って煙を払っている。
「うーん、ダメかあ!『恋愛感情可視化ヘルメット』、またしてもショートです!」
「……潮目さん」
消火器を片手に、ナギが静かに、しかし有無を言わせぬ圧力で歩み寄る。
「また妙なガジェットで予算を燃やしましたね。今月の請求書、どうするつもりですか」
「いやナギ君、これは世紀の発明なんですよ!ほら、よく言うじゃないですか。ドキドキすると、それが恐怖なのか恋なのか分からなくなるって。その境界線をデータで可視化できれば…!」
「ああ、『吊り橋効果』ですか」
ナギは呆れたように息を吐くと、手元の端末を操作した。
吊り橋の上のアトラクション
「吊り橋効果、と言えば、原典となった有名な論文がありますね」
ナギがそう言うと、潮目の目の前のメインスクリーンに、古い論文のテキストが映し出された。
Sexual content of stories written by Ss on the fear-arousing bridge and tendency of these Ss to attempt postexperimental contact with the interviewer were both significantly greater.
(恐怖を喚起する吊り橋にいた被験者が書いた物語の性的内容と、実験後にインタビュアーに接触を試みる傾向は、いずれも有意に高かった。)
出典: Some evidence for heightened sexual attraction under conditions of high anxiety. : APA PsycNet
「これです!これですよ、ナギ君!恐怖による心拍数の増加が、恋愛のときめきと誤認される!いやはや、なんとロマンチックな勘違いでしょう!」
目を輝かせる潮目。
しかしナギは、冷静に別のデータを追加で表示させる。
In other words, if our pulse is racing or our hands are sweaty due to fear or excitement, we are more likely to believe that those physiological markers are signs of romantic attraction. This phenomenon, known as the misattribution of arousal theory, may also partially explain why people who have never met in real life experience such high levels of attraction.
(言い換えれば、恐怖や興奮で脈が速くなったり手に汗をかいたりすると、私たちはその生理的指標が恋愛の魅力のサインであると信じやすくなるのです。この現象は「興奮の誤帰属」理論として知られ、実生活で会ったことのない人たちがなぜあれほど高いレベルの魅力を経験するのかを部分的に説明するかもしれません。)
出典: The Psychology of Falling in Love in 240 Hours | Psychology Today
「ロマン、というよりは『興奮の誤帰属』ですね。脳のバグみたいなものです」
あなた自身が吊り橋だった
「バグだなんて言わないでくださいよ!これは人類の可能性です!この効果を応用すれば、僕にだって…いや、悪用すれば世界征服だって可能なのでは!?」
「吊り橋の上という極限状況下での限定的なデータです。それに、潮目さんが吊り橋に誘った時点で、相手は警戒して心拍数が上がる前に逃げますよ」
「うっ…手厳しい」
潮目は少し落ち込んだが、すぐに研究者としての好奇心に火がついた。
「でも、もしこのメカニズムをラボトロニカの観測機材に応用できたら?例えば、災害現場で活動するドローンが、要救助者の不安を『希望』や『安堵』に誤帰属させる特殊な低周波を出すとか…」
「…それは、面白いかもしれませんね。パニック抑制に応用できる可能性はあります」
珍しくナギが少しだけ肯定的な反応を見せた。
その時、ふとナギが、まるで業務連絡のような淡々とした口調で尋ねた。
「そういえば潮目さん。以前、お付き合いされていた方がいると聞きましたけど」
「え?あ、うん。いたけど…それがどうかしましたか?」
「その方との出会いも、吊り橋だったんですか?」
思わぬ質問に、潮目は一瞬きょとんとした。
そして伝説のサーバー室へ
「ああ、彼女とのことですか。いやいや、吊り橋みたいなロマンチックな場所じゃ全然ないですよ」
潮目は少し照れくさそうに頭を掻きながら、遠い目をして語り始めた。
「僕たちが初めて会ったのは…学生時代の大学のサーバー室だったんです」
「サーバー室?吊り橋とは程遠い、常に低温低湿に管理された静かな空間ですね」
ナギが不思議そうに首を傾げる。
「ええ。でもその日、僕が盛大にコーヒーをサーバーラックにぶちまけてしまって…」
「……は?」
「一瞬で火花が散って、けたたましく警報が鳴り響いて、天井からスプリンクラーが作動して水浸しに…もう、大パニックですよ!僕は世界の終わりかと思いました!」
ナギは無言で潮目を見つめている。
その視線に気づかず、潮目は話を続ける。
「そんな僕を、彼女が冷静に誘導して避難させてくれたんです。あの時のドキドキが、恋だと勘違い…いや、本物の恋だったんですけどね!ははは!」
ひとしきり笑った後、潮目は静まり返ったラボの空気に気づいた。
ナギは、呆れているのか感心しているのか分からない、絶妙な表情で静かに言った。
「……なるほど。潮目さん自身が、歩く吊り橋だったわけですね」
「え?」
「理解しました。…とりあえず、そのコーヒーは二度とサーバー室に持ち込まないでください。バックアップの復元、大変なんですから」
そう言ってそっぽを向くナギの口元が、ほんの少しだけ緩んでいるのを、潮目は見逃した。