【カマキリは外来種で害虫なのか?データ検証】|小さな用心棒と、ヨーロッパへ渡ったサイレント・キラー

殺虫剤を止めた小さな用心棒
ラボの中庭に置かれた鉢植えのスモモ。その葉先に、潮目の視線が釘付けになっていた。
潮目「うーん、やっぱ出ましたね、アブラムシ。びっしりだ」
ナギが淹れたてのコーヒーを片手に、呆れたように言う。
ナギ「昨日から言ってますよね。さっさと農薬を散布すればいいじゃないですか」
潮目「それがさ、ナギ君! 今朝スプレーを構えたら、枝先にカマキリの赤ちゃんがいたんだよ! まだ1センチくらいの、ちっちゃな用心棒が!」
潮目は興奮気味に両手を広げる。
潮目「アブラムシを食べてくれる益虫を、自分の手で殺すなんてできないじゃないか! というわけで、農薬散布は中断です!」
ナギ「はぁ……。潮目さんのそういうところ、非合理的ですが嫌いじゃないですよ」
ナギは静かにため息をついた。
ナギ「でも、その小さな用心棒、地域によっては『益虫』とも言えなくなるようです」
「私を侵略的と呼んで」
潮目「え? どういうこと? カマキリは畑のヒーローじゃないか」
潮目が首を傾げると、ナギは手元のタブレットを操作し、一つの論文タイトルをモニターに映し出した。
「例えば、こんな観測データがあります」
Call me invasive: Testing the first impacts of the alien mantises Hierodula patellifera and Hierodula tenuidentata on European biodiversity.
出典: Call me invasive: Testing the first impacts of the alien mantises Hierodula patellifera and Hierodula tenuidentata on European biodiversity : Journal of Orthoptera Research (配信元: Pensoft)
潮目「『Call me invasive』……『私を侵略的と呼んで』!? なんて詩的なタイトルなんだ!」
潮目の目がキラキラと輝き始めた。
潮目「まるで、故郷の星を追われた戦闘種族が、新たな惑星で生きるために孤独な戦いを繰り広げるSF叙事詩のようだ…!」
ナギ「潮目さん、そのDOIから裏で論文の全容は解析済みです。どこかのサイヤ人的な何かとは違います」
ナギは冷静に、別のデータを表示させる。
The spread of these Asian mantises highlights how human activity and climate change can alter the natural boundaries that once limited invasive species.
(これらアジア産カマキリの拡大は、人間の活動と気候変動が、かつて侵略的な種を制限していた自然の境界をいかに変えうるかを浮き彫りにしている)
出典: Scientists warn invasive Asian mantises are threatening Europe's wildlife : Pensoft Publishers (配信元: ScienceDaily)
潮目「アジアのカマキリが、ヨーロッパで? しかも侵略的外来種として?」
潮目の表情から、詩的な輝きが消えていく。
潮目「うちのスモモにいる子も、もしかしたら…?」
ナギ「可能性はゼロではありません。データは、ただそこにある事実を映すだけです」
気候変動のサイレント・キラー
潮目「いやはや、驚きました。僕らにとっては益虫でも、場所が変われば生態系を脅かす存在になるなんて…」
潮目は腕を組んで唸る。
潮目「彼らは気候変動という追い風に乗って、ヨーロッパ大陸を征服するサイレント・キラーなのかもしれない…! その鋭いカマで在来種を次々と刈り取っていくんですよ!」
ナギ「またSF的な発想に…。潮目さん、論文の詳細データをちゃんと見てください」
ナギはタブレットの画面をフリックし、グラフや分布図を次々と拡大表示した。
ナギ「論文では、アジア原産のハラビロカマキリ属(Hierodula)2種がヨーロッパ各地で急速に定着している実態が報告されています。彼らが問題視されている理由は、単に『増えているから』ではありません。ヨーロッパ在来のカマキリ(Mantis religiosa)や他の貴重な昆虫に対する直接的な競合と捕食が確認されているからです」
潮目「在来種のカマキリまで食べちゃうのかい!?」
ナギ「ええ。このアジア産カマキリは大型で非常に攻撃性が高く、同じ餌資源を争うだけでなく、在来のカマキリそのものを捕食するケースが観察されています。さらに、実験データによると彼らは気候の温暖化によって冬期の卵の生存率が著しく上昇しており、かつては越冬できなかった地域へ北上を続けているんです」
潮目「なるほど、気候変動が彼らの『進撃の防壁』を取り払ってしまったわけか」
ナギ「ですが潮目さん、根本的な原因を見落とさないでください。彼らが国境を越えた最初のきっかけは『人間の活動』です。観賞用ペットとしての輸入や、国際貿易の貨物に紛れ込んだ物流の波。人間が運搬し、人間が暖めた地球環境で、彼らはただ生き残るための適応力を発揮しているに過ぎません」
潮目「……言葉が出ないな。人間が撒いた種が、気候変動という名の土壌で育っているわけか。泥臭く、そして切ない話ですね」
潮目は少し悔しそうに頭を掻いた。
潮目「でも、この環境適応能力は凄まじいですよ! もしこのカマキリの、獲物を待ち伏せするアルゴリズムや、環境を認識するセンサーのメカニズムを解析できたら……ラボの観測ドローンに応用できるんじゃないかな!?」
途端に、潮目の顔がパッと明るくなる。
潮目「擬態能力を活かした、超小型のステルス観測機! これなら警戒心の強い動物にも気づかれずに接近できますよ!」
ナギ「面白そうですね。その観測機が、他のラボのドローンを捕食しないように、行動範囲のジオフェンス設定は厳重にしないといけませんね」
ナギも少しだけ口元を緩ませた。
そして、我々は深淵を覗く
すっかりカマキリの魅力に取り憑かれた二人。
ナギ「潮目さん、これ見てください。カマキリといえば、やはりこの寄生生物は外せません」
潮目「おお、ハリガネムシ! 知ってるよ! カマキリを操って水辺に行かせて、お尻からニュル〜って出てくるやつだろ!」
モニターに映し出された動画に、二人は釘付けになる。長く黒い寄生虫が、のたうち回るカマキリの腹からゆっくりと姿を現す。
潮目「うわぁ…グロいけど、神秘的だ…」
ナギ「生命の連鎖って感じがしますね…」
夢中になって画面を覗き込む二人。
その時、彼らの背後を、ハイヒールの音が静かに通り過ぎた。
研究室のドアを開けて顔を出したのは、黒髪の美女、白波所長だった。彼女は、モニターに映るグロテスクな映像と、それに夢中になる部下二人を冷ややかに一瞥し…。
白波「……何やってるの、この子たち」
やれやれと首を振り、音もなくその場を立ち去っていった。
白波(カマキリに寄生するハリガネムシを見て喜ぶより、チヌやイシダイの寄生虫のデータを分析しなさいよ)
小さく、誰にも聞こえない声で呟く白波所長。彼女が重度の海釣り中毒者であることを、人類ははまだ知らない。
