1000kmの空白を埋める、太古の巨大ハリモグラの囁き
毛布にしたい、朝の出会い
今朝は少し、ロマンチックな出会いがあった。
「いやはや、ナギ君。今朝のあの子はすごかった」
「机の角にスネをぶつけてた潮目さんのことですか?あれはすごかったですね。見事なまでにスローモーションでした」
「違うよ!研究所に来る途中の田んぼの水路でさ、モグラが流されてたんだ」
びしょ濡れの小さな塊を、彼はそっとすくい上げたらしい。
「とりあえず助けてあげたんだけど、あの毛!びっしり生えてて、触り心地がもう最高で…」
「それで、その手で今コーヒーを淹れているわけですね。衛生観念という言葉を知っていますか」
「あ、あとで洗うから大丈夫!でも本当にすごい毛布みたいだったんだよ。あんな毛布があったら冬は無敵だなって。結局、近くの野原に逃したけどね」
「そうですか。無事に生き延びるといいですね。…毛深いといえば、潮目さんが好きそうなデータが届いていますよ」
「え、毛深いデータ?」
博物館の片隅で眠っていたタイムカプセル
ナギがタブレットに表示したのは、古びた骨の写真だった。
「うわ!なんだこれ!すごくゴツゴツしてる!?」
「オーストラリアの博物館にあった化石だそうです。しかも、ただの化石じゃない。こちらの観測データをどうぞ」
This paper describes a partial cranium of M. owenii, collected historically from Foul Air Cave in the Buchan Caves Reserve of East Gippsland. It is the first example of Megalibgwilia identified from Victoria, and reconciles the taxon’s otherwise disjunct southern distribution across mainland Australia.
(本稿は、東ギプスランドのバカン洞窟保護区にあるファウル・エア洞窟から歴史的に収集された、オーウェンズオオハリモグラ(M. owenii)の部分的な頭蓋骨について記述するものである。これはビクトリア州から同定されたMegalibgwilia属の最初の事例であり、オーストラリア本土における本分類群の、これまで途絶していた南部分布を繋ぎ合わせるものである。)
出典: The first Victorian record of Owen's Giant Echidna Megalibgwilia owenii from Buchan Caves in East Gippsland, Australia : Alcheringa An Australasian Journal of Palaeontology
「オーウェンズオオハリモグラ!名前がもうカッコいい!ハリモグラってことは、今朝のモグラみたいに毛むくじゃらだったのかな」
「おそらく。ただ、サイズは比べ物になりません。そして重要なのは、この発見が『分布の空白』を埋めたという点です」
「空白?」
「ええ。こちらのニュース記事が分かりやすいです」
The fragmentary skull—thought to have been among the first megafauna fossils retrieved from the renowned Buchan Caves—fills a gap of over 1,000 kilometers between previous finds.
(この断片的な頭蓋骨は、有名なバカン洞窟から回収された最初のメガファウナ(大型動物)の化石の一つと考えられており、これまでの発見場所との間にあった1,000キロメートル以上の空白を埋めるものである。)
出典: Museum fossil reveals that extinct giant echidnas once roamed Australia : Museums Victoria
「1,000キロ!?途方もない距離じゃないか!」
「ええ。今まで点と点でしか分からなかった生息地が、この一個の化石によって、ぶっとい線で繋がったんです」
点と線で描く、失われた大陸の風景
たった一個の骨が、古代オーストラリアの地図を塗り替えてしまった。
「すごい…すごすぎる!これって、つまり彼らはまだどこかに生き残ってるんじゃないかな!1000kmも移動できる脚力があれば、人知れず大陸の奥地で…未確認生物M.O.として!」
「Megalibgwilia oweniiの頭文字ですね。残念ながら化石の年代を考えると、その可能性は限りなくゼロです。潮目さんのロマンは尊重しますが」
「えー、夢がないなあ、ナギ君は」
「夢より事実です。この発見が示すのは、彼らが我々の想像以上に広大な範囲の環境に適応していたということ。当時のオーストラリアの気候や植生を再構築する上で、とてつもなく重要なピースなんですよ」
「なるほど…。広大な土地を、この巨大なハリモグラがのっしのっし歩き回っていたのか。なんだか、そっちの方がロマンがあるかも」
「ええ。そして、その針のような毛は、ただの毛ではないはずです」
「というと?」
「地面の微細な振動を感知したり、地中の獲物の電気信号を捉える超高感度センサーだった可能性もあります。もしこのメカニズムをラボトロニカの観測機材に応用できたら…」
「新型の地中レーダーが作れるぞ!『M.O.センサー』と名付けよう!火山活動の予知や、未発見の地下水脈の探査に革命が起きる!」
「そのネーミングはともかく、発想は悪くありません。絶滅した生物の機能から学ぶバイオミメティクス。私たちの得意分野ですね」
二人の目は、もう博物館の化石ではなく、未来の観測機器の設計図を見つめていた。
ロマンと、洗うべき手
「ふと思ったんだけど」
「なんです?」
「地面に潜らず、のっしのっしと歩き回ってたなら、それはもうモグラじゃないのではって思って」
「モグラズとでも名付けます?」
「...いや、まあ、なんかそういうと意地悪な気もしてくるし、いいや」
それにしても、と潮目がつぶやきながら背伸びする。
「いやはや、たった一個の骨から、失われた風景が見えてくる。データと風景のあいだ…まさに僕たちのテーマそのものじゃないか」
彼は窓の外に広がる夕焼け空を見つめ、感慨深げに呟いた。
「ええ。絶滅した生き物が、一片の骨を通して私たちに語りかけてくる。これだからフィールドワークはやめられません」
「だよね!最高のデータだった。よし、祝杯だ!僕がとびきり美味しいコーヒーを淹れるよ!」
「…潮目さん」
「ん?」
「その手、今朝モグラを触ったまま、まだ洗っていませんよね」
潮目の動きが、ピタリと止まった。
「せめて、石鹸で手を洗ってからにしてください。ロマンに浸るのは、その後です」