火星の赤に生命の夢を見る日、僕らは足元の荒れ地を見つめた
虚無の風景に、何を見るか
ラボのメインスクリーンに、火星探査ローバーが送ってきた高解像度のパノラマ映像が映し出されている。どこまでも続く、赤茶けた大地と岩。
「……いる。絶対いるって、これ」
潮目はコーヒーカップを片手に、画面に釘付けになっていた。
「ナギ君、これを見てよ!この岩の配置、この砂の紋様!何かがいた痕跡にしか見えないんだよなあ」
「ただのクレーターと風化作用の結果ですね。潮目さん、その映像はもう3時間も見続けていますよ」
背後から聞こえてきたのは、助手のナギの声だった。その手には、潮目が先ほど盛大にこぼしたコーヒーの染みを拭き取った雑巾が握られている。
「いや、違うんだよ!説明しないと、そこらへんの岩場とかを撮影したようにしか見えないから、みんな見過ごしてるんだ!僕ら観測者の『目』が試されてるんだよ!」
「その目は、もっと手元のケーブルに向けたほうがいいかと思います。また踏んでますよ」
「うわっ、ほんとだ!」
生命は「見つけられない」だけかもしれない
よろけた潮目は、気を取り直してスクリーンを指差した。
「でも、僕の言いたいこと、わかるだろう?僕らの知ってる生命の定義があまりに狭すぎて、全く新しい形の生命体を見逃している可能性だってあるわけだ!」
「その『見逃し』、つまり偽陰性のリスクについて、ちょうど興味深い論文が発表されていますね」
ナギはそう言うと、手元のタブレットを操作し、メインスクリーンにデータを転送した。
But what if we fail to detect life that is (or was) actually present? Such ‘false negatives’ are bound to arise and they matter because they would represent failures to recognize past or present existence of life.
(しかし、もし私たちが実際に存在している(あるいは、していた)生命の検出に失敗したらどうなるだろうか?そのような『偽陰性』は必ず生じるものであり、過去または現在の生命の存在を認識しそこなうことを意味するため、重要なのである。)
出典: False negatives in the search for extraterrestrial life : Nature Astronomy
「これだよ!まさにこれ!僕が言いたいのはこの『偽陰性』のリスクなんだ!僕らが『生命はいない』と結論づけた惑星で、実は僕らには見えない形で生命が繁栄していたとしたら……ロマンじゃないか!」
潮目の興奮は頂点に達していた。しかし、ナギは冷静に次のデータを表示する。
「そのロマンが、最悪の事態を引き起こす可能性も指摘されています」
Secondly, there is a danger that policymakers will approve the premature exploitation of raw materials on planets, with the risk of irreversibly destroying unnoticed life.
(第二に、政策決定者が惑星の原材料の時期尚早な開発を承認し、気づかれない生命を不可逆的に破壊するリスクがあるという危険性がある。)
出典: Why scientists fear we're missing evidence of extraterrestrial life : Utrecht University
潮目の動きが、ピタリと止まった。
最初の惑星開拓
「……なるほど。僕らが『いない』と判断して、火星の資源採掘を始めたとする。そのせいで、まだ見ぬ火星の微生物を、僕らが気づかないうちに絶滅させてしまう、と…」
潮目の声から、先程までの興奮が消えていた。
「最悪のシナリオですね。ファーストコンタクトが、一方的な大量虐殺になるなんて」
「もしかしたら、火星のあの赤い砂自体が、僕らには認識できないシリコン生命体の巨大なコロニーだったりしてな。そこに人間がブルドーザーで乗り込んでいったら……うわあ、考えただけでも恐ろしい。SF映画の悪役じゃないか」
「可能性はゼロではありませんが、まずは我々の観測機器の限界を認めるべきでしょう。地球の生命を基準にした探査では、全く異なる化学プロセスを持つ生命は見つけられないかもしれませんから」
「だよな…。代謝のサイクルが数千年単位の生命体とかだったら、僕らの観測じゃただの岩にしか見えないもんなあ。そうだ!ラボトロニカで新しいセンサーを開発しよう!生命の『決めつけ』をなくして、未知のエネルギー反応を捉える超高感度センサーだ!」
「面白そうですね。開発予算の申請書、作成してみますか?」
ナギが珍しく乗り気になったその時、潮目はふと窓の外に目をやった。
僕らのテラフォーミング
「……いや、待てよ」
潮目はスクリーンに映る火星の荒野と、窓の外に広がるラボ裏の荒れた土地を見比べた。
「いきなり火星は無理だ。壮大なテラフォーミングに思いを馳せるのもいいけど、まずはもっと身近なことから始めよう!」
「と、言いますと?」
不思議そうな顔をするナギに、潮目はニヤリと笑いかけた。
「ラボの裏にある、あの荒れた土地だよ!あそこを僕らの手で、緑豊かな土地に再生させるんだ!いわば『ミニ・テラフォーミング計画』の始動さ!」
「……」
「未知の生命はいないかもしれないけど、一度失われた生態系を取り戻すための、僕らの第一歩だ!これこそデータと風景のあいだを観測する、ラボトロニカの真骨頂じゃないか!」
ナギは深く、深いため息をついた。
「……また長靴が泥だらけになりますね。まあ、火星に行くよりは安上がりですが」
潮目は目を輝かせ、倉庫からスコップを手に取った。
「行くぞナギ君!僕らの最初の惑星開拓だ!」
その背中を見送りながら、ナギは救急箱と軍手を静かに自分のカバンに詰めるのだった。
「はいはい。まずは潮目さんが転んで怪我をしないように、足元の開拓からですね」