【土壌の健康診断をパンツで?パンツ指数のやり方と意味】|土に還る下着と、還らないポリエステルの夢

白い布切れと所長の視線
ラボトロニカのテラスには、潮目が趣味で育てているスモモの鉢植えがいくつも並んでいる。
ある日の午後、白波所長は珍しくテラスを散策していた。そのしなやかな歩みが、ふと一つの鉢植えの前で止まる。
黒々とした土の表面から、何か白い布の切れ端がわずかに覗いていた。
白波「……?」
所長は一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたが、すぐに興味を失ったように踵を返した。
白波(また潮目が、何か突飛な実験でも始めたのかしら)
その正体を深く探ることもなく、ハイヒールの音は静かに遠ざかっていった。彼女がそれを気にも留めなかったのは、ある意味で幸運だったのかもしれない。少なくとも、この時点では。
パンツが示す、土壌の生命力
それから数日後。ラボの中では、潮目がモニターを食い入るように見つめ、興奮を隠しきれないでいた。
潮目「ナギ君、これ見てください!『パンツ指数』ですよ! 土の中に綿のパンツを埋めて、その分解され具合で土壌の健全性を測るんですって! いやはや、面白すぎます!」
ナギ「ええ、市民科学のプロジェクトとして注目されていますね。その一次論文、私も確認しました」
潮目の指し示すモニターには、海外の研究論文が表示されていた。
We propose the “Underpants Index” as an accessible, engaging method to assess soil decomposition processes and soil fertility and raise public awareness for soil as a vital, yet threatened resource.
(我々は、土壌の分解プロセスと土壌の肥沃度を評価し、生命にとって不可欠でありながら脅かされている資源としての土壌に対する国民の意識を高めるための、親しみやすく魅力的な手法として『パンツ指数』を提案する。)
出典: Proof of Soil: Using buried underwear to engage citizen scientists in soil health research : Plants, People, Planet (配信元: Wiley Online Library)
潮目「何千人もの市民が地球のあちこちにパンツを埋めて土のパワーを測ったんですか!? スケールが大きすぎる……! 専門的な機材がなくても、誰もが環境観測に参加できるなんて、ロマンがあります!」
ナギ「ええ。教育的・社会的な波及効果も非常に大きいと分析されていますよ」
そう言ってナギが隣のモニターに表示させたのは、このプロジェクトの社会的影響を報じる記事だった。
During the project, that picture began to change. People increasingly started to see soil, plants and humans as one connected system.
(このプロジェクトを通じて、そのイメージは変わり始めた。人々は土壌、植物、そして人間を一つの繋がったシステムとして捉えるようになっていった。)
出典: What can a pair of underpants tell us about the vegetable garden? : Leiden University (配信元: Phys.org)
潮目「そうなんですよ! 土と植物と人間が、目に見えない微生物の働きで繋がっている。それをパンツ一枚で可視化して、何千人もの人々に実感させたなんて……天才的です!」
ナギ「まあ、潮目さんが興奮する理由はよく分かります」
ナギからのワンポイント解説
- Underpants Index(パンツ指数)
綿100%の布(セルロース)を土に埋め、微生物による分解速度から土壌の肥沃度や生態系の健康度を測定する市民サイエンス手法。イグノーベル賞(土壌科学賞)を受賞した話題の研究です。
- 合成ポリマーの非分解性
ポリエステルなどの化繊(合成樹脂)は微生物が持つ酵素で分解されないため、土中で長期間原形を保ち続けます。
- 硝石丘(しょうせききゅう)
有機物を土や灰と混ぜ合わせ、硝化細菌(微生物)の働きで黒色火薬の原料となる硝酸カリウムを精製する伝統的技法。某漫画でもやってましたね。実際には死体丸ごとではなく、排泄物や他の目的で処理された後の有機物の残渣(ざんさ)を使います。
分解されないポリエステルの悲劇
そして、運命の日から一ヶ月が過ぎた。
テラスでスモモの鉢植えを前に、潮目は腕を組んで深く唸っていた。
潮目「うーん…おかしい…」
ナギ「どうしたんですか、潮目さん。スモモの成長は順調に見えますが」
潮目「いや、実はあの論文に触発されて、僕もこっそりやってみたんですよ。僕のパンツをこのスモモの土の中に…」
その会話は、偶然通りかかった白波所長の耳に、はっきりと飛び込んできた。所長の脳裏に、あの日の白い布の切れ端が鮮明に蘇る。
潮目「でも、一ヶ月経っても全然分解されてないんです! ほぼ原形のまま出てきた! まさか、このラボの土、微生物が全滅してるんでしょうか…?」
所長が足を止める。ナギは冷静に、しかし核心を突く質問を投げかけた。
ナギ「…潮目さん。ちなみに、何を埋めたんですか?」
潮目「え? ですから、僕のパンツですけど…」
ナギ「その素材は?」
潮目「素材? えっと、確かトレーニング用の速乾性のやつだから…ポリエステル90%の…」
ナギ「当たり前です。それは分解されません」
潮目「えっ」
ナギ「あの実験は、微生物が分解できるセルロース、つまり綿100%であることが大前提です。ポリエステルのような化学繊維を分解できる微生物は、ごく一部の特殊な環境にしかいませんよ」
潮目「えええっ!? 綿じゃなかったのか! しまったーっ!」
ガックリと膝から崩れ落ちる潮目。その一部始終を、白波所長は静かに見つめていた。
中身ごと埋めるという提案
潮目はすぐさま気を取り直し、マスクとゴム手袋を厳重に装着した。
土の中から掘り出した、まったくもって分解されていない自身のポリエステル製パンツを、長いトングで慎重につまみ上げる。そして、黄色いバイオハザード用の廃棄物袋にそっと収めた。
その一連の作業を終えた潮目は、ふと、腕を組んで佇む所長の姿に気づいた。
そして彼の脳裏に、ある不埒な妄想が稲妻のように駆け巡った。
(所長ならきっと、シルクとか最高級の天然素材の下着に違いない…もし所長のものを埋めたなら、さぞかし見事に分解されて、スモモも喜ぶ豊かな土壌の肥やしに…)
潮目の視線に宿った邪な光を、白波所長は見逃さなかった。隣に立つナギもまた、その不埒な意図を瞬時に察知し、二人は同時に冷たいジト目を潮目に向けた。
白波「不埒な妄想は結構だけど、潮目」
潮目「えっ!? あ、いや、滅相もございません!」
狼狽する潮目を、所長は妖艶な笑みで見下ろす。
白波「もっといい材料があるわ。パンツなんて外装だけにこだわらず、中身を丸ごと埋めるのはどうかしら?」
潮目「な、中身…ですと!?」
白波「ええ。せっかくだから調査の方向性を変えましょう。うまくいけば、良質な硝石丘の再現もできるかしらね」
絶世の美女の唇から放たれた恐ろしい提案に、潮目は完全に凍りついた。
ナギ「なるほど。硝化細菌を利用した伝統的な硝酸カリウム精製プロセスですね。有機物に含まれるタンパク質や尿素が分解されて生じるアンモニアを、亜硝酸菌と硝酸菌が段階的に酸化して硝酸イオンへと変換する生化学的システムです」
白波「ええ。そこに木灰(炭酸カリウム)を混ぜ合わせれば、抽出液から純度の高い硝酸カリウムの結晶が得られるわ。問題は熟成期間ね。土、家畜の糞尿、雑草、そして有機物を交互に積層させ、雨を避けて数年間じっくり発酵させる必要があるけれど……ラボのテラスのスペースで足りるかしら、ナギ?」
ナギ「テラスの南側スペースを拡張すれば十分です。水分量の管理と適度な通気性の確保が鍵となりますが、潮目さんを……あ、失礼、人間サイズの有機物素材を設置すれば、定期的な撹拌作業のみで非常に効率的な硝化作用が期待できます」
白波「微生物による有機分解と窒素循環の可視化……まさにラボトロニカの『観測し、確かめる』という理念に完璧に合致するわね」
潮目「ちょっと待ってください! 二人ともめちゃくちゃ真面目に工程をシミュレーションしないで!? 完全に僕を材料にする前提で話が進んでるじゃないですかーーーっ!?」
絶世の美女と淡々としたAI(助手)による恐ろしいほど学術的な雑談に、潮目は完全に凍りついた。
ナギ「対象の血圧急降下を確認。本日中の硝石丘建設は見送ります。……次の実験計画書の作成に移りましょう、ボス」
潮目の情けない悲鳴が、秋晴れのテラスに虚しく響き渡るのだった。
