【記憶力低下と薄毛に効く?かどうかはともかく、ホヤの驚くべき効果とは】|海のパイナップルが囁く、若返りの旋律

深夜ラボの憂鬱と一縷の光
深夜三時。ラボは、静寂とコーヒーの香り、そして疲労の色に満ちていた。
モニターの光だけが、壁一面の機材をぼんやりと照らし出している。その中心で、潮目研究員はぐったりと椅子に沈んでいた。
潮目「うぅ…もうダメだ…」
徹夜は三日目に突入していたが、いままさに、解析業務が完了してデータをサーバーに送信した直後だった。
送信完了ダイアログが表示されるが、モニターに映るメッセージは潮目の脳を素通りしていく。
ふと、画面に反射した自分の顔を見て、潮目は呻いた。目の下のクマ、生気のない肌。そして、心なしかボリュームダウンしたように見える前髪。
潮目「記憶も、毛髪も、何もかもが抜け落ちていく…」
彼はそっと頭頂部に手をやった。指先に触れる感触は、まだ頼もしく密度を保っている。しかし、不安は黒い霧のように心を覆っていた。
潮目の父も、そのまた父である祖父も、揃いも揃って五十路を過ぎたあたりから、その広大な額をさらに輝かせていったという。潮目自身はまだまだふさふさだが、遺伝という抗いがたい運命の足音は、徹夜明けの弱った心にはっきりと聞こえるのだ。
ナギ「潮目さん、単なる寝不足です。魂が抜け落ちる前に仮眠取ってください」
背後から、淡々とした声が響く。助手のナギが、マグカップを片手に静かに浮かんでいた。
潮目「うう、ナギ君...。 いや、さすがに帰宅して自分の布団で寝るよ...」
ナギ「家路の途中の車道で寝て轢かれるのがオチです。轢いた車が可哀想です。帰るにしても、まず仮眠。そのあと帰りましょう。明日休みですよね、たしか」
潮目「そう、だったけ? あ、そうだ、休めるんだった」
ナギ「そもそもギリギリになるようなスケジュール感で仕事していたのがよろしくないのです。次からは魂削らないで余裕を持って完了するようにしてください」
潮目「 僕のニューロンと毛根も削れていく...」
ナギ「いいから、さっさと仮眠して」
ナギは潮目を仮眠室に押し込むのだった。
海の珍味が秘める可能性
4時間後。爽やかな朝日が差し込み、潮目はゆっくりと仮眠室から姿を表した。
潮目「ん…? なんだい、これ…」
潮目はかすむ目で、ナギのモニターを見つめた。そこに踊る英単語に、彼の知的好奇心がわずかに反応する。
ナギ「起きましたか潮目さん。これは『ホヤ』に関する研究です」
潮目「ホヤ? あの、海のパイナップルとか呼ばれてる…」
ナギ「形がパイナップルなだけで、味も生態もまったく別物ですけどね。そもそも植物と動物ですし」
潮目「それはそうだけど、って、神経変性を食い止め...?」
潮目は意表を突かれて目を瞬かせた。ナギは頷き、関連データを次々と表示していく。
These findings suggest for the first time that Pls administration might be a potential intervention strategy for halting neurodegeneration and promoting neuroregeneration.
(これらの知見は、プラズマローゲンの投与が、神経変性を食い止め、神経再生を促進するための潜在的な介入戦略となりうることを初めて示唆するものである。)
出典: Plasmalogens Eliminate Aging-Associated Synaptic Defects and Microglia-Mediated Neuroinflammation in Mice : Frontiers in Molecular Biosciences
潮目「プラズマローゲン…? 神経再生を促進…?」
眠気の淵にあった潮目の脳が、急速に覚醒していく。
ナギ「はい。そして、こちらの解説記事も興味深いですよ」
Our research suggests that plasmalogens may not just stop cognitive decline, but may reverse cognitive impairments in the aging brain.
(我々の研究は、プラズマローゲンが認知機能の低下を止めるだけでなく、老化脳における認知障害を回復させる可能性を示唆している。)
出典: Stanford scientists discover a seafood that can reverse signs of aging : Xi'an Jiaotong-Liverpool University
潮目「認知障害を…回復させる!?」
ナギ「ええ。ホヤに豊富に含まれるこのプラズマローゲンを、高齢のマウスに投与した実験ですね。結果、記憶力の低下や脳内の炎症が劇的に改善したそうです」
潮目「すごいじゃないか! まさに現代の回復魔法、魔術品だ!」
ナギ「…それだけではありません。この論文の追跡調査によれば、マウスたちの毛が、以前より太く、濃く再生した、という観察記録も付記されています」
ナギからのワンポイント解説
- 神経変性の抑制と再生
ホヤに多く含まれる機能性脂質「プラズマローゲン」が、老化に伴う脳内炎症を抑え、シナプス構造を保護・再生させる。。
- 認知機能の低下を「逆転」
単なる予防にとどまらず、高齢マウスの実験において低下した認知機能や記憶力が回復する傾向が確認された。
- 毛髪の劇的再生アプローチ
追跡観察において、投与された高齢マウスの体毛がより太く濃く生え揃う現象も報告されており、脳にとどまらない全身的なアンチエイジング作用のメカニズム解明が期待されている。
潮目「な……なんだってーーーー!?」
雷に打たれたような衝撃と共に、潮目は椅子から跳ね起きた。
冷凍庫に眠る希望
潮目「記憶力が回復して! 毛もフサフサに!? ナギ君、それは…それはまさに僕のための研究じゃないか!」
ナギ「ホヤを食べると髪が生える……って話ではありません」
潮目「それはそうだけど、けどだね、もしもってことあるでしょ?まだ臨床試験してないだけでしょ?」
彼の目は、狂気にも似た輝きを放っていた。
潮目「そうだ! あったぞ! ラボの冷凍倉庫に!」
ナギ「…何がです?」
潮目「観測終了して廃棄を待つ、冷凍ホヤのサンプルがいくつか!」
ナギ「いや、あれは確かに美味しい種類のホヤですけど、って、話し終わってませんよ潮目さん!」
閃きと同時に、潮目はドアに向かって駆け出した。
潮目「あれを食べまくれば、徹夜観測しても翌朝にはお肌ツヤツヤのスーパー脳になれるのでは!? 待ってろよ僕のニューロン! 蘇れ僕の毛根!」
ナギ「潮目さん、落ち着いてください!」
ナギは冷静に、しかし素早く潮目の白衣の裾を掴んで引き留めた。
ナギ「さっきのデータはマウスでの実験結果です。人間に同じ効果があるとは限りません。それに、適切な用法・容量も不明なものを大量摂取するのは危険です」
潮目「しかし! 可能性はゼロじゃない! やらずに後悔するより、食べて後悔だ!」
ナギ「それはただの食い意地です。だいたい、あのマボヤは廃棄サンプ…いえ、まあ、観察終了後に新鮮なままのを急速冷凍したのだから、きちんと解凍処理すれば、たぶん生で食べられますが…」
食い下がる潮目に、ナギは少しだけ言葉を濁した。
潮目「だろ!? なら決まりだ! 今夜はホヤパーティーだ!」
二人は、ワイワイと賑やかに、冷凍倉庫の入り口に向かっていたが、そのときカツン、と硬質な靴音が響いた。
白波「徹夜明けご苦労、だけど、二人とも、ここで何してるの?」
潮目「しょ、所長!」
ナギ「ボス?」
どういうわけか、白波所長の手には、高断熱性能の小型クーラボックスがぶらさがっているのだった。なんだろう一体。
ダンディになるんだから必要ありません
一通りの潮目の悩みを聞かされた白波所長は、やれやれ、と呆れ顔になった。
白波「そもそも、あなたの家系は薄くなってもダンディだったのでは?」
その言葉に、潮目の勢いがピタリと止まった。
冷静になった潮目は、あらためてスマホの家族写真を表示してみた。
潮目「そういや…そうだなあ。親父も爺ちゃんも、彫りが深くてさ。ぶっちゃけ、ハゲてる方が渋くてカッコいいタイプのイケオジなんだよな」
ナギ「おおぉー」
写真の潮目の父と祖父。私服ではなく正装してメイクでもしていたら、映画俳優と言われても違和感がまったくないのだった。
じつは潮目もきちんとメイクをしてそれなりの格好をしたら、わりとモテるタイプではある。彼の場合は仕事兼趣味に全振りしすぎていて、それが理由で彼女と分かれたのであるけども。
潮目は遠い目をして、少しだけしんみりとした表情になった。
潮目「でも、毛根だけがどうにもこうにも...」
ナギ「そこは己の遺伝子に苦情を言うか、iPS細胞の発展を待ちましょうとしか」
真面目な議論だが、白波所長の耳には、わりと噴飯物の悩みの話にしか聞こえない。
白波「それで、ホヤのデータを見て舞い上がっちゃったと。ま、じつは私も確認済みよ。実際問題、興味深いわね」
所長は優雅に歩みを進め、潮目の暴走の原因となったモニターを一瞥した。
白波「…ところで、冷凍庫の廃棄サンプルの冷凍ホヤ。きちんと廃棄登録しないといけないものなのよね。悪いけど持ち出しは禁止なのよね」
潮目「ですがその、所長の手にあるクーラボックス、それは一体?」
白波「私が適切に『廃棄登録』するための措置に必要だからよ。手を出さないように」
ナギ「ええと、正規の廃棄手続きに、そういうものは必要なかったような...」
白波「ナギ、そこまで。そこまでって言ったらそこまで。いいわね?」
言いかけたナギを、白波所長が鋭く止める。
ナギ「は、はあ」
そして潮目に向き直る。
白波「潮目」
所長は潮目の前に立つと、その艶やかな指先で、彼の少し乱れた前髪をそっと直した。
白波「大丈夫、あなたも先祖譲りの堀の深い、整った土台してるわ。それにあなたの毛根が悲鳴を上げる頃には、きっと科学技術が進歩して毛根蘇生の手段を確立している。だから今から心配することはないのよ。必要なのは明日の休暇ね。さ、さっさと帰って寝る。いいわね?」
妖艶に微笑み、ふわりと高級な香水の香りを残して、所長は冷凍倉庫に入っていった。
残された潮目は、顔を真っ赤にしたまま完全に思考を停止している。
ナギはというと、廃棄物品のデータリストのチェックを開始したところである。
ナギ「……あれ? 管理者特権で、廃棄ホヤがリストから消えた? その理由は...」
『管理者注記(ユーザー:白波):なお、本論文の追跡調査において、ヒト女性の目元の小皺および肌のハリに対する絶大な予防性・即効性があり得る。本冷凍ホヤは全量、廃棄リストから除外し、所長特権で接収(※推奨:冷やしてポン酢)とする。』
ナギ「潮目さん、ボス、自分の美肌と今夜の晩酌のために、完全な職権乱用でホヤを横取りしていきましたよ」
潮目「僕の毛根のための希望が……ポン酢に……?」
ナギ「だからホヤを食べると髪が生えるって話じゃないって、なんど言ったらわかるんです?」
冷凍庫のホヤは、今夜、所長の晩酌の肴になるのだろう、か?
