【責任転嫁が起きる心理と権力の関係】|壊れたセンサーの哀歌、あるいは無実の叫びが木霊する部屋

漂い始めた硝煙と、無残に黙り込んだ試作機
潮目は青ざめた顔で、作業台の上に転がる黒い樹脂の塊を見つめていた。
軽量ドローンに搭載可能な、試作品の超高感度大気物質収集センサー。
これは、とある先進技術ベンチャー企業が試作し、ラボトロニカに試験を依頼してきたものだった。
そして先ほどまで上空のデータを完璧に吸い上げ、彼を歓喜の渦に巻き込んでいた最新鋭の機材だったのだ。
が。
潮目「動かない……うんともすんとも言わないですよナギ君! 電源ランプすら沈黙しています!」
ナギ「潮目さん、深呼吸してください。ドローンから異音がした時、フルスロットルで上昇気流に突っ込ませましたよね」
潮目「あれは気象境界面のデータを逃したくなかったからで! 僕じゃないです! 物理法則の気まぐれです!」
ナギ「いやいや、操作していたのは潮目さんじゃないですか。そもそも消去法でいくと責任者は潮目さんです。もうすぐボスが外回りから戻られますが、遺言はありますか?」
潮目「待って! 物理学の神様に誓って過失はないんです! なのにどうして僕が全責任を背負う空気に!? ナギくんだって、異常の兆候があったの気づいていたなら、なんで指摘しなかったんですか」
ナギ「しましたよ。けど、『いけるって!』って、謎の確信してたじゃないですか」
潮目「うぐっ」

頭を抱える潮目である。その時だった。
黒石「あらあら〜♪ 楽しそうな責任のなすりつけ合いね」
部屋の扉が開き、ふわりと華やかな香水の香りが漂った。
白波の留守を待つため応接室にいたはずの黒石所長が、退屈そうに指先をもてあそびながら現れたのである。
権力者が背負わされる「犯人」という名の十字架
黒石「人間ってね、誰が悪いか分からない時は『一番偉い人や立場が上の人』を犯人にしたがるのよ♪」
潮目「えっ……? 立場が上の人、ですか?」
黒石「そうよ。混沌としたトラブルに直面した時、人間の脳は手っ取り早く強者を悪者に仕立てて納得したがるの。ちょうど私のシンクタンクでも、面白いデータが出たばかりなのよね」
黒石はスマートフォンの画面をタップし、妖艶な笑みを浮かべながら潮目の目の前に掲げてみせた。
These findings indicate that, besides many perks, power comes with perils in the form of ascribed culpability.
(これらの発見は、多くの特典に加えて、権力には非難を帰属させられるという危険が伴うことを示している。)
出典: How power shapes judgments of culpability: Shield or liability? : Journal of Personality and Social Psychology (配信元: APA PsycArticles)
潮目「なるほど。権力には多くの特権が伴う反面、非難の矛先を向けられるリスクが組み込まれている、と」
ナギ「権力者の宿命みたいなものでしょうね」
黒石「そういうこと。原因不明のエラーが起きた組織では、現場の末端よりも、管理職やリーダーがスケープゴートにされやすいって研究結果よ」
黒石の小悪魔的な流し目が、潮目に突き刺さる。
黒石「ま、聞いてる限り、今回はその現場の末端が管理職を兼ねてるって状況みたいだけどね」
ナギ「私はいちおう『潮目さんの部下』、ですから。やはり潮目さんは末端ではなく、管理職といえなくもないです」
黒石「そっか~♪がんばれ若き管理職!」
潮目「あ、ありがとう、ございます?」
""This can lead to distortions in how blame is attributed,"" van Kleef says, ""so awareness of this reflex is important for fair treatment, for example, in the courtroom or in public debate.""
出典: People with power are more quickly singled out as the culprit when something goes wrong but it is unclear who made the mistake : University of Amsterdam / Phys.org (配信元: Phys.org)
ナギからのワンポイント解説
- 権力に伴う「責任帰属(Culpability)」のリスク
トラブル発生時に原因や犯人が不透明な場合、人間は手っ取り早く影響力を持つリーダーや権力者を犯人とみなす心理的偏向(認知バイアス)が存在します。
- 全能バイアスとスケープゴート構造
権力者は「自分は何でも許されると思っている」という周囲の強い偏見を抱かれやすいため、トラブル時に「裏で横暴を働いたに違いない」と過剰に疑われ、真っ先に非難の標的(スケープゴート)にされます。
- 公正な評価・意思決定への影響
アムステルダム大学などの研究では、この心理的反射を自覚することが、裁判やパブリック討論、あるいは組織のトラブル対応において事実を歪めない公平な判断に不可欠であると結論づけられています。
人間心理の歪みと、都市のスケープゴート
潮目「それはそれとして、ということは、もしやこのセンサーが壊れたのも、目に見えない大気中の負の思念が、現場の指揮官である僕に集中した結果なのでは!?」
ナギ「オカルトに逃げないでください。ただの機械的故障です」
黒石「ふふっ、潮目くんのそういう突飛なところ、嫌いじゃないわよ? でも心理学的にはもっと生々しい話ね。今回はどうみても潮目くんのミスっぽいけど、それはさておき。誰がミスをしたか特定できない時、なぜ人間が権力者を犯人にしたがるか分かる?」
潮目「なぜ、ですか……?」
黒石「権力を持つ人間は『自分は何をやっても許される』と高慢に振る舞っている、という強い偏見(バイアス)を周囲から抱かれやすいからよ♪」

潮目「権力者は『自分は何でも許される』と思われている……」
黒石「そう。 例えば……圧倒的な威圧感で周囲を平伏させ、予算も人事も思いのままに操り、『私に不可能なことなんてないわ』と言わんばかりの冷徹な顔をしている……どこかの黒髪ロングの所長さんみたいなタイプね。そういう『全能の権力者』こそ、何かトラブルが起きた時に『どうせ裏で理不尽な横暴を働いたに違いない』って真っ先に疑われちゃうのよ〜♪」
ナギ「……黒石所長、後ろ」
黒石「ん?」
ラボの空気が一瞬で絶対零度まで下がったかのような静けさが訪れた。
部屋の入口に立っていたのは、漆黒のスーツを隙なく着こなした絶世の美女——白波所長であった。
凍てつくラボの女王と、胃を押さえる観測者
白波「……黒石、遠回しに私を『何でも許されると思っている権力者』扱いするのはやめなさい」
凛とした声とともに、白波所長が静かに足を踏み入れてきた。
黒石「あら、お帰り白波。相変わらず隙がないのね……」
それから小声で(相変わらず綺麗な横顔)とのつぶやきは、誰の耳にも届かなかったようである。
白波「そして潮目、犯人が誰であれ、機器の管理責任は現場のあなたよ」
潮目「ひっ……! 申し訳ありません! 試作品を壊してしまいました……!」
潮目が観念して頭を下げると、白波は冷ややかな視線を机のセンサーに向け、小さくため息をついた。
白波「何を怯えているの。そのセンサーは高感度化を最優先したプロトタイプよ。耐久限界が低いことは最初から織り込み済みだし、どの観測高度と負荷で故障に至るかの限界値をレポートすることまでがあなたの仕事でしょう」
潮目「えっ……? 壊すこと自体は、怒られないんですか?」
白波「むしろ壊してログをとるところまでが仕事よ。何を言ってるのよ」
潮目は、絶対に壊さず綺麗なまま返却しなければならない、と、早とちりしていたことに、今更ながら気づいたのである。
ガバっとナギに視線を向ける潮目。
ナギはあえて視線に気づかないフリをして、何やらデータの整理を始めた。
極めて珍しい事態だが、ナギも勘違いをしていたのである。
もっとも、ナギに『壊すまでが仕事』という重大な情報が伝わっていなかった原因は、やはり潮目にあるのだが。
白波「相変わらず勝手な思い込みでパニックになるのね。ですが壊れた瞬間のログを完璧に取っていなければ、ただの過失として処分します」
潮目「ログなら完璧に残っています! よかった……本当によかった……」
安堵の胸を撫で下ろす潮目をよそに、黒石がすっと白波の傍らに歩み寄り、その洗練された横顔をじっと覗き込んだ。
黒石「相変わらず部下には容赦ないのに、データにはどこまでも誠実なのね、白波ちゃん♪ そういう冷徹でフェアなところ、学生時代からちっとも変わってないわ」
白波は黒石に視線すら向けず、冷ややかに手元のタブレットへログデータを転送させる。
白波「外部の人間が当ラボの内部運用に口を挟まないでちょうだい、黒石。それから、その慣々しい呼び方も不快よ」
黒石「あらあら〜♪ 冷たいこと。でもね、その機材が壊れた瞬間の『人間の焦りと誤操作のログ』……うちのアーバン・インサイトの都市行動解析チームにも共有してくれないかしら? 『絶対的権力者のプレッシャー下で、人間がどうパニックを起こし、どう責任転嫁を図るか』のサンプルデータとして、すごく魅力的だわ♪ 潮目くんのその扱いやすい心理データごと、丸ごと買い取りたいくらいね♪」
白波のレイピアのように鋭い眼光が、初めて黒石を正面から射抜く。
白波「お断りよ。あなたのビジネスのダシにするために、うちの部下が機材を壊したわけじゃないわ。潮目も、このデータも、当ラボの所有物よ」
黒石「ふふっ……ケチね。でもね白波、私、昔から言ってるでしょう? 欲しいものは絶対に手に入れるって……ラボトロニカのデータも、潮目くんの泥臭い頭脳も、そして……あなた自身もね♪」
黒石が小悪魔のように妖艶に微笑み、二人の視線が至近距離で激しく交錯する。
目に見えない強烈なスパークが、ラボの静寂をバチバチと焼き焦がすかのような圧倒的な緊迫感。

ナギ「……潮目さん。あの二人の絶対領域に巻き込まれる前に、気配を消して息を殺した方がいいですよ」
潮目「言われなくても……息が……できない……っ」
二大所長が放つあまりに強烈なオーラと火花に挟まれた潮目は、極度の緊張から下腹部に鋭い激痛が走り、静かに机に突っ伏してキリキリと悲鳴をあげる胃をさすり続けるのだった。
